続🎵ということで。
前回この本との出逢いを書きました。
今回は、深い❤深い内容の
ご紹介です。
🌿心眼力🌿
野口嘉則 著
本文より・・・
ここにひまわりの種があるとします。
これを肉眼でみると、ただの小さな
粒でしかありません。
この種を、ナイフで二つに切断してみても、
その中にひまわりの花の形は見えません。
ひまわりの命、
つまりひまわりの本質は肉眼では
みえないのです。
しかし、ひまわりの命は明らかに
種の中に内在しています。
土に埋めて水をやれば、
やがて発芽し、
ついには、
あの堂々とした立派な花を咲かせるのです。
私たちが種を土に埋めて水をやるのは、
ひまわりの花が開く姿を想像するからです。
これが、
「心の目(心眼)で見る」
ということです。
人生で困難な問題や悩み事に
出会ったときも、
心眼力を働かせて、
その問題の本当の意味を
心の目で見るのです❤(*^-^*)
肉眼で見れば、ただの不運なこととしか
思えないような出来事。
しかし実は、
一粒の小さな種の中に、
やがて大きく美しい花を咲かせる
命が内在しているように、
不運な出来事の中に、
"幸福の芽"
が内在しています。
これが人生の真実です❤
それを心の目で見て進んでいけば、
あなたの美しい花が
開くときがやってくるのです。
💗すべての人間関係の
元になる関係💗
人間の悩みの大半は、人間関係に関するものだそうです。
そこで、人間関係を楽しむための
秘訣を考えてみましょう。
人間関係を楽しむためには、まず、
"ベースとなる人間関係"
を良好にすることが重要です。
では、
"ベースとなる人間関係"
とは、誰との関係なのでしょう❔❔
そうです。
それは
自分自身との関係
なのです。
自分自身との関係とは、
自分のなかの
「見つめる自分」
と
「見つめられる自分」
の関係です。
見つめる自分が、無条件に
自分の存在を受け入れると、
自尊心が高まっていきます。
一方、見つめる自分が、
「こんな自分はみっともない」
などと、
いつも厳しく自分を裁いてしまうと、
劣等感が募ってしまいます。
人間関係を豊かに築いていくためには、
自分と違う考え方をもった相手を
受け入れていく必要がありますね。
そして、
「あなたがどのくらい他人のことを受け入れることができるか」
は
「あなたがどのくらい自分のことを受け入れているか」
ということと比例するのです。
つまり人は、
自己受容ができるようになるほど、
他者受容もできるようになります。
逆に。
「こんな自分じゃだめだ」
と自分を受け入れていない人は、
他人を受け入れることもできません。
ここで、自己受容を妨げるものを
三つ紹介します。
まず一つめ目は、
他人との比較
です。
他人と比較する限り、自分の価値は相対的に
上がったり下がったりで、安定しません。
相手と自分を比べて、相手を下だと思うと見下して優越感にひたり、
相手が上たと思うと劣等感を感じて
卑屈になるのです。
こうなると、他人が競争相手になってしまい、その競争に勝つためにエネルギーを消耗してしまいます。
二つ目は
減点志向
です。
これは、
「自分はここがだめだ」
「あれができなかった」
と、自分のマイナス面に焦点を
当ててしまう習慣です。
とくに、自分に完全さを求めてしまうと、
減点だらけになってしまいます。
人はみな本来、
不完全な存在なのですから。
自分らしさに過剰なこだわりを
もつ人もいます。
「自分らしくあるためには、個性的でなくてはならない。平凡な人間であってはならない」
という思い込みのため、自分探しに走り回りますが、なかなか自分の個性が見出せず、
そんな自分に減点をしてしまいます。
探し回らなくても、あなたは、最初からそこにいます。
そしてあなたの個性は、あなたが生きていく過程で、自然と現れてくるものです❤
焦る必要はありません。
まず、そのままのあなた自身をしっかりと認めて、受け入れることが大切なのです。
三つ目のものは
罪悪感
です。
人は誰もが過ちを犯します。
そのとき、その行動に対して反省し、
自分を改めることは大切です。
しかし、行動を反省するだけでなく、自分自身を、責め続けてしまうと罪悪感が募ります。
この罪悪感が
「自分は悪い人間だ。受け入れられる価値のない人間だ」
とつぶやき、自己受容を妨げるのです。
自己受容は、
自己肯定とは違います。
「自分を好きになること」とも違うのです。
また自己受容は、
「どうせ自分は内気な人間なんだ。変えることなんてできないんだ」
とあきらめたり妥協したりすることとも
違います。
自己受容ができて、今の自分としっかりと向き合うことができると、自然に向上心が湧いてきて、自分の変えられるところを変えていこうという意欲が湧いてくるのです。
人生のどんな状況でも
実現できる価値🎵
私たちは、ひどく落胆したときなどに、
自分の人生を無価値なもののように感じることがあります。
そして、
「こんな人生にどんな価値があるというんだ❔❔」
という疑問を抱いたりします。
そもそも私たちは、人生を通してどんな価値を実現することができるのでしょう❔❔
そして、それを実現するにはどのようにすればいいのでしょう?
ヴィクトール・E・フランクルは、私たちが人生で実現できる価値を、次の3つに分類しています。
☆創造価値☆
これは、何かを創造することによって実現される価値のことです。
たとえば、仕事をしたり、奉仕活動をしたり、芸術作品を創作したり、子供を育てたりすることによって、
私たちは世界に創造的な働きかけをすることができます。
これが創造価値です。
☆体験価値☆
これは、人や自然や芸術作品などに触れ合う体験によって実現される価値のことです。
たとえば、愛する人たちと交流したり、自然や芸術作品の美しさに触れたりする体験によって、私たちは感動や喜びを感じることができます。
これが体験価値です。
☆態度価値☆
これは、自分に与えられた状況や運命に対してどういう態度をとるか、それによって実現される価値です。
たとえば、病気や貧困などのさまざまな苦痛によって、創造価値や体験価値を実現できない状況になったとしても、そこでどんな態度をとるかを決める自由が私たちに残されています。
そこで運命を受け入れ、人間らしい尊厳のある態度をとることができるのです。
これが態度価値です。
フランクルはナチスの強制収容所に送還され、そこで活動の自由を奪われ、楽しみを奪われました。
つまり、創造価値や体験価値を実現できない状況に置かれたのです。
しかし、ナチスの看守たちが決して奪うことのできない自由をフランクルは発見しました。
それは、
「この状況をどのように受け止め、どのような態度をとるか」
という自由です。
態度価値だけは奪われることがないのです。
フランクルは、収容所の過酷な環境の中で、
「自分がこれまでの人生で学んできた考え方を、今こそ実践するときである」
と考え、収容所の仲間には優しく接し、人間として存在ある態度をとりました。
こうして彼は、態度価値を実現したのです。
インドのマハトマ・ガンジーも素晴らしい態度価値を実現した人でした。
かつて、我が国の武士道においても、この態度価値は大変重視されました。
武士道で大切にされた、
「いかに見事に死ぬか」
ということは、裏返せば、
「いかに見事に生きるか」
ということと同じだったのです。
武士たちは、生きる態度の中に美学を追求し、卑怯を恥じ、義を重んじ、潔く生きることをよしとしたのです。
態度価値を意識して生きることによって、私たちは、美しい生き方、高尚な生き方、品格ある生き方を実践するようになります。
それは同時に、私たちの人間性を高めていく生き方でもあるのです。
私たちは、この世に生まれてきて、この世界からさまざまな恩恵を受け、今こうして生きています。
そしていつか必ず、この世を去る日がやって来ます。
であるならば、この人生を生きている間に、この世界に対して何らかの貢献、何らかの恩返しをしたいものです。
それこそが、生きた証になるのだと思います。
内村鑑三氏は、
著書「後世への最大遺物」
の中で次のように語っておられます。
「私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。この世の中にいるあいだ、少しなりともこの世の中を良くして逝きたい」
そこで大切なのが、志を立てることです。
ここでいう志とは、
「私心を越えて、世の中のために何かを成し遂げようとする決意」
のことです。
世の中の役に立とうとすることで、
私たちの心は奮い立ち、エネルギーと充実感に満たされます。
なぜなら、私たち人間はみな、心の中に
「人の幸せに貢献したい」
という気持ちをもっているからです。
この気持ちが愛であり、私たち人間の本質なのです。
志をもつことで、私たちの中にある、この本質が輝き始めるのです。
志をもって生きることで、私たちの心の中に使命感が目覚め、それが大いなる生きがいとなります。
また、志をもつことで、大きなことを成し遂げる能力が引き出され、私たちは大きな人間に成長します。
さらに、高い志をもつ人は、それが魅力や感化力となって、まわりの人の志に火を点じることができるのです。
私たちは後世に何を遺せるのか❔❔
あなたは、あなたの人生を通じて、未来の世代に何を遺したいですか?
この問いに答えることは、あなたの志をはっきりさせることでもあります。
しかしこの問いの答えは、すぐに見つかるものではないかもしれません。
この世界に幸せな人を増やす❤
仕事を通じて、生活を通じて、出会う人々に愛を注ぐ。
出会う人々の幸せに貢献する。
この地道な行為の積み重ねによって、
世界の幸せの量は着実に増えていきます。
そして、あなたがそれをやり続けるなら、それは伝染するようになります。
あなたが蒔いた幸せの種が、芽をだしながら広がっていくのです。
これは未来の世代への素敵な贈り物となります。
人の幸せに貢献するための具体的な行為として、仏教で言う
が参考になります。
これは、財産があろうとなかろうと誰にでも実践できる親切です。
眼施(がんせ)
慈しみに満ちた優しいまなざしで接すること。
なごやかな、微笑みのある顔で接すること。
思いやりのこもった優しい言葉をかけること。
身施(しんせ)
身をもって奉仕すること。人のために進んで行動すること。
心施(しんせ)
思いやりをもって、心を込めて接すること。人の痛みや苦しみを自らのものとして感じとること。
床座施(しょうざせ)
座席や立場、地位を他の人にゆずること。
房舎施(ぼうしゃせ)
風や雨露をしのぐ場を提供すること。困っている人を助けること。
以上は生活の中で直ぐに実践できることなので、手帳などにメモして携帯し、いつも意識しておくのもいいですね。
いかがでしたでしょうか❔❔
今回、この本と出会えて・・・
自分の中に小さくとも
確かに燃え続けていていた・・・
命の灯❤(*^-^*)
人間の尊厳💗
改めて再確認できたように思いました。
私がこの世界に遺したいもの・・・
生きる希望❤(*^-^*)笑
冒険したくなるような世界❤
かなぁ❔❔
実のところ
私がblog始めた
きっかけもそうなんだけど
このblogは私の
生きる希望❤(*^-^*)的なね
私の存在する価値❔❔意味❔❔
自分自身に遺していたような
私の遺言❤でもあるんですけどね。
気持ちのうえでは
よく生死をさ迷っています。
現実には辛いこと、楽しいこと
切ないこと、寂しいこと、嬉しいこと
不思議なくらい繰り返してて・・・
生きてても、死んでても
あんまり役に立ってないなぁ~~って
もう、いいのかなぁ❔❔
って・・・思うんだけど。
そんな時いっつも本に出逢う❤
救世主のように❤
見えない存在にいつも助けられてて
今までこれた(T_T)笑
最近も結構(辛くて)・・・
もう、いいのかなぁ❔❔
って思ってました。
でも目の前にもっと(辛い)人みたら
凄く気持ちがわかって・・・
同じなんだって・・・
気がついたら・・・その人のこと。
一生懸命応援してる自分がいました。
この人の為にもうちょっと頑張ろう🎵
とか思えました。
今回。この本も途中で
もう、いいのかなぁ❔❔とか思ったり
でも、最後にするにも、
ちゃんと終わりたいとか考えました❤
私が経験する感情とか・・・
あまりしたくないけど・・・
感じたことのない感情はきっと
誰かの為に必要なんだと思いました。
どうせなら・・・楽しいだけでいいんだけど
この世界はいろんなことを
経験するためにあるのかなぁ❤
どうしても遺したいものはね。
💗存在の愛(*´ω`*)💗
そんな祈りのような願いです。💗