お久しぶりです💕
今回はこの本📕
🍑ホームには誰もいない🍑
ヤン・ケルスショット著
なんとな~~く、手にした本でした🎵
それが、それが・・・
なかなか深すぎて・・・
私もいなくなっていた・・・🎵笑(*´ω`*)
この本は、お勧めするというよりも
私のために、残しておきたい本でした。
私にとって静寂と沈黙🎵
そして、深い気づきがやってきた・・・・
そんな感じだろうか。笑(*´ω`*)
本の始まりがとても気に入っています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
解放への鍵を探しているなら、
悪い知らせと良い知らせがある。
悪い知らせ・・・解放への鍵など存在しない。
良い知らせ・・・扉に鍵はかけられていない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それでは早速、本文です。
今回ははじめの数ページだけ残しておきます🎵
この本は、新しいものの見方を得るための手引き書です。
まだほかにも可能性があると気づくことができれば、シンプルにすべてが変わっていきます。
あらゆる信念や聞き伝えをすべて放棄し、自分だけを頼りに求めれば、このエッセンスを味わうことができます。
そのために、宗教観や哲学は要りません。
この公然の秘密の正体を明らかにするために、特別な人になる必要も、スピリチュアルな人になる必要もないのです。
その秘密とは、
「すべての人がホーム・・・元来た場所・・・に戻っておいでと招かれている」
ということです。
「ホーム」とは、ここでは無限なる非人格的な場所を表します。
だからといって、それが神聖だとか唯一無二のものだという意味ではありません。
この本で私は「解放」について述べていますが、聖人や運の良かった人だけが解放を遂げられるわけではありません。
私たちは皆、ここで自由になることができます。
読み進んでいただければ、除外される人など一人もいないことがおわかりになるでしょう。
メッセージのエッセンスはもう私たちの元にあり、あなたも私もこのエッセンスを使うことができるのです。
私の身に「超常的な」ことが起きたことは一度もありませんが、この本を通して皆さんにあるビジョンをお伝えしたいのです。
まったくもってシンプル、かつあなたのスピリチュアルな探求に終止符を打つようなビジョンです。
もし、「自分は今もスピリチュアルの探求者で、無限の真理を追い求めるのだ」と思っているのであれば、そのスピリチュアルな探求についてよく見つめ直して見ましょう。
どこに向かおうとしているのか、自分自身に尋ねて見てください。
本当に探求者という人がいて、この本を読んでいるのでしょうか❔❔
こういった疑問すべてに決着をつければ、たとえば
悟りがいつか未来に起こるという概念の一切をきっぱり捨ててしまえば、まさに驚くようなことが起きるかもしれません。
なお、この本を読めば新たな哲学的洞察が得られる、もしくはあなたの問題が解消するという保証はできません。
神秘体験が起こるとか、スピリチュアルな探求において個人として何か達成できるかというと、それも約束できません。
もしあなたの人生に超越体験が起きたなら、起きていると思える間は楽しんでください。
でも、できるだけさっさと忘れてしまうことです。
超越体験が自分に起きてほしいと求めること自体が、巧妙な落とし穴です。
人間のレベルを越えたものが個人レベルまで降りてくると、神の恩籠も災いとなります。
スピリチュアルの指導者たちによる神秘体験を読んだときも同じです。
自分をこのような人たちと比べ、また落とし穴に落ちるのです。
「スピリチュアルなヒーローたち」が話している個人的な体験は、ここでは関係ありません。
すべてはマインドの思考の肥やしです。
このようにしてエゴは正体を見せまいとだまし続けるのですから、とても巧妙です。
そうやってあなたは自分をごまかしているのです。
私たちという存在を人格化することはできませんし、「それ」を未来に予測されている状態に置くことも不可能です。
ですが、もし「それ」を人格化する癖を本当にやめれば、もし「それ」を未来に投影するのをやめれば、そのすべてを見届けている「目覚め」に気づくかもしれません。
そのとき、あなたのスピリチュアルな探求に終止符が打たれるでしょう。
何も求めることはありませんし、
達成されるものは何もありません。
すべてはあなたの力の及ばないところで起きるのです。
けれども、もう平凡で簡素な生活で十分満足なのですから、自由です。
それに、宗教やスピリチュアルなどの「がらくた」で日々の暮らしを高めたいとも思いません。
ある意味では、スタート地点に戻ったと言えるでしょう。
では、これにいったい何の意味があるのでしょうか?
実のところ、意味などありません。
あなたはただ、理想を追求するというストレスから解放されます。
あなたはあるがままで神聖さの表現なのですから、自分を向上させるなんて無意味だと理解します。
宗教儀式も、スピリチュアルなトレーニングも要りません。
お香を焚くのも、バス停でバスを待つのも、公園で散歩するのも、すべて神聖なことです。
あなたは、いつもエゴのない状態で神聖なる愛を表現していなくてもいいのだとわかっています。
高次なパワーを手に入れなくても、第三の目を開かなくてもいいことに気づいています。
すべてがオーケーなのだと理解することこそ、解放なのです。
平凡な一瞬も、スピリチュアルで至福な一瞬も、変わりなく等しいことがわかります。
「いつの日か悟りを得たい」という望みはすっかり消えました。
まさに今、あなたの目の前にある生活そのものが「それ」だからです。
ここで座ってこの本を読んでいることが、あなたなりの無限の表現です。
あなたは聖人にならなくてもいいのです。
こうしてあなたは元の平凡な生活というゲームに戻るわけですが、「それ」を探しに行く場所などどこにもないこともわかっています。
かつてはスピリチュアルな自由を獲得するために頑張っていましたが、今となってはまったくお笑い草です。
あなたが自分自身になる方法を、どうして他人が教えられますか❔❔
あなたはもうホームに戻っているのに、誰があなたのホームへの帰り道を教えてくれるというのでしょう❔❔
すべてを包含する無限を求めているなら、それはどこにでもあるのに、どこへ行けというのでしょう❔❔
そこから逃れる道はありません。
無限が時を超越しているなら、どうしてまだあなたは探しているのですか❔❔
探求者などいないということがようやくわかったとしたなら、誰がその探求をするのでしょう❔❔
まだそこに留まっているのは誰❔❔
おわかりですね、ホームに戻るのはあなたではありません。
気づきがそれ自身を再発見しているのです。
つまり、誰もホームには戻りません。
意識はすでにホームなのですから。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
いかがでしたか❔❔笑(*´ω`*)
そうです。
もう、何も探さなくていいんです。
何かになる必要もないんです。
行為はいらない・・・のかも。
ただ、今、ここに・・・
ただ在る🎵
ありのままのあなたで・・・
ただ在る🎵笑(*´ω`*)
この本に出逢えて・・・ありがたい🍑
そう思いました🎵
わたしが、あらゆる、わたし(あなた)に
届けたいギフト🎵笑(*´ω`*)
わたしとわたし(あなた)がすでにいた場所
ホーム🎵
そう、ホームには誰もいない(*´ω`*)