✨人はなぜ 他人を許せないのか❔ 中野信子著✨

お久しぶりです。

最近・・・私がとても興味をもっている方の本を紹介したいと思います🎵

 

同じ年・・・と言ったら・・・

 

何でここまで違うのかと思われるかも知れませんが・・・・

 

人は人なので🎵笑(*´ω`*)

 

ではでは早速❗

 

中野信子さん🎵です。

 

脳科学者と言うのが・・・

私が一番興味を示すところかな🎵

 

 

今回のタイトルは

 

🎵人は、なぜ

              他人を許せないのか❔🎵

~自分は絶対正しい~

~他人の言動が許せない~

 

・・・「正義中毒」という快楽を・・・

最新の脳科学が解き明かす❗

 

表紙裏より・・・

 

人間の脳は、他人に正義の制裁を加えることに喜びを感じるようにできています。

 

この快楽に溺れてしまうと、決して人を許せない「正義中毒」状態になってしまうのです。

 

しかし、許せないのは苦しいことです。

 

本書で「人を許せなくなる脳の仕組み」を知っていただくことが、心穏やかに生きるためのヒントになれば幸いです。

 

・・・・

 

~はじめに~

許せない自分を理解し、人を許せるようになるために・・・

 

「我こそは正義」と確信した途端、

人は「正義中毒」になる

 

あなたは、どんなときに人を「許せない」と思いますか❔

 

「恋人や配偶者が浮気をしていた」

「上司からパワハラやセクハラを受けた」

「信頼していた友達から裏切られた」

 

こんな経験をしたことがある、あるいは身近な人が経験しているという方は、多いのではないでしょうか。

ここで生じる「許せない」感情は、自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたことに対する憤りであり、強い怒りが湧くのは当然です。

 

では、こういう場合はどうでしょうか❔

 

「清純な優等生キャラで売れたいた女性タレントが不倫をしていた」

 

「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」

 

「大手企業がCMで差別的な表現をした」

 

もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。

 

また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。

 

しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、

「許せない」が暴走してしまっている状態です。

 

我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質をもっています。

 

人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。

 

他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。

この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。

 

こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。

 

この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。

 

有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、「そんなことするなんて許せない」と叩きまくり、不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、企業の広告が気にいらないと、その商品とは関係ないところまで粗探しをして、あげつらう・・・・。

 

 

「間違ったことが許せない」

「間違っている人を、徹底的に罰しなければならない」

「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」

 

このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。

本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、

普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。

 

特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「分かりやすい失態」をさらしている場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。

 

あなたも「正義中毒」に陥ってしまう可能性がある

 

・・・・

「正義中毒」から自分を解放する

 

・・・「許せない」をコントロールし、穏やかに生きるには

 

 

「なぜ、許せないのか?」を客観的に考える

 

まずは自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを、自分自身で把握できるようになることがとても重要です。

 

そのためのサインとして、まず「相手を許せない❗」という感情が湧いてしまう状態そのものを把握する必要があります。

 

どんなときに「許せない❗」と思ってしまうのかが自身で認識できるようになれば、自分を客観視して正義中毒を抑制することができるようになるからです。・・・・

 

怒りの感情が湧いたときは、その感情を増幅させてしまう前にひと呼吸置いて、

「自分は今、中毒症状が強くなっているな」と判断するようにします。

このとき、誰かや何かを許せない自分自身を責めたり、卑下したりする必要はありません。ここまで述べてきた通り、人間はそもそもそういう愚かな生き物だからです。

 

むしろ心配すべきは、普段注意深くふたをしている感情が、何かのきっかけにより一気に大爆発してしまうことでしょう。

 

それに比べれば、日々小さなことで「あいつはバカだ」と考えてしまったとしても、そのたびに自覚して「待てよ」と立ち止まれる方が、適切な抑止力になるのではないでしょうか。

 

・・・・と。こんな感じで延々とあるのですが、

 

この事はほんの一部です。

 

もっと知って欲しいことがたくさんあります🎵笑(*´ω`*)

 

脳の仕組み🎵

 

そして・・・脳は老化するということ。

 

「あの頃は良かった」

と言うのは、脳の衰えのサイン🎵笑(*´ω`*)

 

 

老化によって前頭前野の働きが衰えると、どうしても新しいものを受け入れにくくなっていくそうです。

 

最後に・・・本文より

 

日常生活のなかで前頭前野を鍛えるための方法

 

老けない脳をつくるトレーニン

 

前頭前野は分析的思考や客観的思考を行う場所です。ここがうまく働いていれば、目先の損得に惑わされず、長い目で見たときの得を選びとることができ、社会経済地位も高くなることがわかっています。

 

何らかの衝動を押し殺したり、やむを得ず状況に合わせたりするという状態であれば、一応前頭前野は働いていると考えられます。

 

前頭前野が衰えていない人は、普段から「自分はこう思う」「こうに決まっている」といった固定化された通念や常識・偏見をうのみにせず、常に事実やデータを基に合理的思考を巡らせている人だと言えるでしょう。

 

ということは、日常的に合理的思考、客観的思考ができるようなクセをつけておく、あるいはそうせざるを得ない状況に身を置いておくと、前頭前野は鍛えられ、衰えを抑制することが期待できる可能性があります。

 

前頭前野の働きが保たれていると、前頭前野の重要な機能である「メタ認知」を使うことができます。

 

メタ認知とは、自分自身を客観的に認知する能力のことです。

 

もう少し詳しく説明すると、

「自分は××をしているとわかっている」

「自分がこういう気持ちでいることを自覚している」

ということです。

 

「私は今こういう状態だが、本当にこれでいいのか?」と問いかけることができるのは前頭前野が働いているからであり、メタ認知が機能しているからなのです。

 

常に自分を客観的に見る習慣をつけ、メタ認知を働かせることが、前頭前野を鍛えることにつながります。

 

いつも予定がいっぱいで忙しく過ごしているよりも、自分を振り返る余裕を持つことの方が、前頭前野を鍛えるためには大切なことと言えるでしょう。

 

 

毎日の生活の中で心がけることも

いろいろ書いてありました。

 

めっちゃ参考になるので・・・

 

一度は読んでみて欲しいな🎵笑(*´ω`*)

 

というか、打つの疲れてきた🎵笑(*´ω`*)

 

 

結局答えがないから・・・どうどう巡り

 

それを楽しんでる❔のが人間なのだろうか

 

安心安全・・・を求めれば老化に・・・

 

ドキドキ🎵ハラハラ🎵だと生き残れるのだろうか❔

 

その答えを問い続けるということが

 

生きている証なのだろうか❔

 

 

私はいったいどうしたいのか❔笑(*´ω`*)

 

ではではまた❤

🎵何でもないものが あらゆるものである トニー・パーソンズ 著🎵

お久しぶりです。

 

今回もかなり深い本です。笑(*´ω`*)

 

今、この時だからこそ

 

おすすめしたい🎵

 

 

それでは早速に🎵笑(*´ω`*)

 

 

何でもないものが    

                      あらゆるものである

 

      ----無、存在、すべて----

 

                                      トニー・パーソンズ  著

 

 

本文より・・・

 

 

存在するすべてはこれ・・・・

 

存在

 

一つが二つとして現れ、

 

何でもないものがあらゆるものとして現れ、

 

絶対が相対として現れ、

 

空虚が充足として現れ、

 

原因のないものが原因のあるものとして現れ、

 

単一性が分離として現れ、

 

主体が対象として現れ、

 

単数が複数として現れ、

 

非個人が個人として現れ、

 

未知が既知として現れている。

 

静寂が音を立て、不動が動きまわり、

 

これらの言葉は言葉なきものへの指標として現れる。

 

それにもかかわらず、何も起こっていない。

 

 

 

 

・・・・

 

あるものすべてはこれです。

そしてこれは存在です。

存在・・・存在が部屋であり、存在が肉体であり、存在が椅子なのです。

あるものすべては存在です。

 

ですから、今夜これから私たちが分かち合うことは、希有で革命的なメッセージです。

 

私たちはみんなで一緒に公然の秘密(オープンシークレット)の本質を眺めることができます。それを探し求める人がいる限り、それは秘密です。それが公然なのは、それがあるものすべてだからです。

 

あるものすべては存在で、存在は何でもないものであると同時にあらゆるものです。

他者はいません。

 

あるものすべての中で、分離という考えがわき起こります。これは存在が分離した実体として現れて、自分を分離した個人であると夢見ているのです。

 

ですから、現れているのは夢見る人で、その夢見る人の機能は個人として分離の中で夢見ることだけです。

 

そしてそのことが起こるとき、不快感や喪失感があります。

 

幼い子供として分離した瞬間から、探求があります。時計は時を刻み始め、探求が起こります。その探求とは、あの喪失感を埋めたいという願望です。

 

 

何かになるすべての教えが、あなたは分離した個人で、あなたには選択があり、どこかへたどり着くために努力しなければならないと教えます。

 

そして、その全信念は夢のパワーと分離を強化しますが、それは夢にすぎません。それは物語です。それは存在が存在を探求する見かけの物語なのです。

 

でも、準備ができたとき、しかし実際は誰の準備ができたわけでもないのですが、何か他のことが聞かれることは可能です・・・・

 

完全に革命的な別の可能性が聞かれるのです。そして聞かれうることは、夢からの目覚めがあるということです。

 

でも夢から目覚めるのは夢見る人ではありません。夢見る人、探求者がもはや突然いなくなりますが、それが目覚めなのです。

 

起こるのは知覚における根本的な転換です。でもそれを起こすことができる人も、その目覚めが起きる人も誰もいないのです。

 

誰もあなたのためにそれができる人はいませんし、あなたもそれをできません。

 

なぜなら探求者であるあなたは、発見や期待するという動きのある物語の中でしか機能しないからです。

 

「次回はそうなるだろう。次の瞑想のあとでそうなるだろう。次のページに書いてあるだろう・・・・答えは次のページにあるかもしれない」。

 

夢見る人は常に期待に生きています。

 

時計は常に時を刻んでいます。

 

解放はそれとともに、どんな時計も、夢見る人も、探求者もグルも、目覚めも解放もないという理解を付随的にもたらします・・・

 

存在するのはただ存在だけです。

 

ですから、たぶん私たちは、質問は起こりうるが、ある意味ではどんな答えもないということを一緒に発見することでしょう。

 

なぜなら、答えは何もないからです。

 

人生への答えは解答が何もないことです。

人生がその答えです。

 

それで、おそらく心(マインド)は戦い、それがおこなったり選択できる何かを発見しうとし続けるでしょう。

 

しかし、ここではそれは可能ではないことが発見されるかもしれません。

 

対話を通じて、質問がそれ自身を再生産し続けるという議論がありますが、ここではそれは起こる必要はないのです。

 

到着すべき場所はどこにもないことを、心はここで発見し、だからそれはあきらめることができるのです。

 

ということで、生、すなわちこれは見かけで起こっています。

 

それは何でもないものの中で起こっています。これはあまりにシンプルなので、完全に心を困惑させる根本的な転換です。

 

それは誰も生きていない生の感覚です。

 

 

・・・・・・・

 

あなたの人生が失われるまでは、あなたは常になぜ・・・と思い続けることでしょう。

 

というのは、求められているものは、決して失われたことがなく、探求者が理解しようとしていることは、決して知られることはありえないからです。

 

ですから、公然の秘密(オープンシークレット)のメッセージには、探求者が掴んで所有権を主張できるものは何もありません・・・

 

至福、静寂、現存のどんな特別な状態も提供されません。

 

熱意、受容が必要だとか、あるいは肉体---精神を浄化することが必要だというのは、誤った考えであることは明らかです。

 

内側に注意を向け、「自分の本質」や、非常に多くを約束してくれながらも素早く来ては去って行く気づきの状態を、発見するようには、招待もされないことでしょう。

 

ここではどんな種類のスピリチュアルなアイスキャンディーも提供されません。

 

探求者が指針やプロセス、あるいは何かになる教えを必要としていることに対しては、何の妥協もありません。

 

ここにはいかなる特別な父親も母親もいなければ、所属すべきスピリチュアルな家族もいません。

 

どんな種類の魔法もカリスマも譲渡もありません・・・・何も売っていません。

 

ただ小さい「自分」というおとぎ話を、終了することができるかもしれないだけです。

 

この明白な無限性の中に一緒にいることの贈り物は、あなたであるものは何の期待も要求もなく、すでに完全なものとして見られているということです。

 

解放された光の中で混乱と抵抗は溶解し、何も残らないことでしょう。

 

その何でもないものから、シンプルな存在の信じがたい充満と不思議が現れるのです。

 

 

・・・・・・・

 

 

いかがでしたか❔

 

 

・・・❔❔❔笑(*´ω`*)

 

 

わけがわからなくなってきましたか❔

 

私もわけがわかりません。笑(*´ω`*)

 

わけがわからないなかにあって

 

わけがわかっているのかもしれませんね🎵

 

 

みんな

 

夢を見ているのかもしれませんね🎵

 

 

 

 

ある瞑想家の冒険~悟りに至るまでの半生、そしてその後~ ボブ・フィックス著

おはようございます🎵笑(*´ω`*)

 

私は不思議な深い本が大好きです。

 

以前・・・

 

サムハラ神社と関わりの深い

 

保江邦夫さんの本

 

「ついに、愛の宇宙方程式が解けました🎵」

 

を紹介したんですが、

 

その本だったかはさだかではないけれど・・・

 

本のなかで保江さんが

 

素晴らしい本だと紹介してた

本がありまして、・・・多分❔笑(*´ω`*)

 

 

それが、

「時を越える聖伝説」

ボブ・フィックスさんの本でした。

 

 

この本はめちゃくちゃ深すぎるくらいでしたが、本当に素晴らしい本でした。

 

多分、ブログでは紹介してませんが・・・

 

 

今回この

 

ボブ・フィックスさんの本との出逢いがありました。

 

 

手に取った本が、ボブ・フィックスさんの本だったので・・・・思わず。笑(*´ω`*)

 

 

ほんとに不思議でした。

 

それでは早速。

 

 

✨ある瞑想家の冒険~悟りに至るまでの半生~✨

                              ボブ・フィックス   著

 

 

はじめにより・・・・

 

わたしは誰?   どうやってここに来たのだろう?   ここにいる目的は?   

人生で1日たりとも思わなかったことはない、重要な問いだ。

 

わたしは生まれたときから、人生には、目に見えるよりもっと重要な何かがあると知っていた。真理を知り、まさしく幻想である事物を越えたところに行きたかった。

 

 

この本は、わたしの映画の物語についてであり、その起こりを見つけ出すべくいかに奮闘したかを書いたものだ。

わたしは自分がいるべくしてここにいると知っていたし、人間としての普通の人生を越えて、悟りを得たかった。

悟りとは、真理をついに理解する、人生のあの瞬間のことだ。

そのとき、人生つまり生命現象の全領域をくまなく見ることができる。

 

悟りとは、すべてを理解できる、あの瞬間のことだ。意識が完全にひらき、無限を見ることができるあの瞬間だ。悟りがひらけると、自分がつねに宇宙の愛あふれる手中にいたということに気づく。

人生を通じた旅はつねに、壮大か精緻につくりあげられた神の計画の一部だった、ということに気づくのだ。

 

この本は悟りについての自叙伝だ。無限を見つけるまで知覚の扉をひとつひとつあけていった、わたしの人生という映画を探求するものだ。

 

わたしの旅は、ありふれた日常の扉を通り抜けて、驚くべき世界のなかに続いていった。

そこで、想像を越える叡智の数々が明かされた。

 

誰もが、その旅に出ることができる。

わたしが自分の人生について話すのは、人々が日々の営みを越えたところに目を向け、人間の本当の可能性を見つける力となることを願ってだ。

わたしたちはみな無限だ❕❗

想像しうる以上のことをやってのけられるのだ。

 

 

わたしたちは誰なのか❔

その問いには、人生の出来事に目を向けるだけでは答えられない。自らの内に向き直り、誰が人生という映画をつくっているのかを見なくてはならない。

この映画をつくっている要因は何か❔

何がそれを動かし、存続させているのか❔

いかにそれを変えられるのか❔

 

人生とは映画である。この世はその舞台だ。

意識はそれを写し出すスクリーンだ。

そして、思考は観客であり、身体は役者である。

誰もがこの映画で演じる役をもっている。

わたしたちは自分の役を選び、それを演じようとし、そしてまた、それを演じるよう選ばれてもいる。

 

例にもれず、この映画にも台本があり、監督や原作者がいる。

台本は、わたしたちが役に入るずっと前に書かれ、繰り広げられ始めた。

先祖や生きとし生けるものが、どの出来事を起こすかを選択し決意し、わたしたちはその成り行きを今日の台本に見ている。

 

それをカルマと呼んでもいい。その意味では、カルマとは、現在の瞬間までに積み重なった過去の選択のことである。

カルマは、かならずしもわたしたちだけの選択ではない。わたしたち以前にいた、みなの選択なのだ。

 

監督は、この宇宙やそこで起こるあらゆる出来事を導く、全能の知的存在である。

宇宙は、個々にさざめく数多くの波を湛える海にたとえられよう。ひとつひとつの波が、海の動きに影響を与える。量子物理学では、その海を無限の空間という。物質は、空間を流れるエネルギーの量子波の顕れである。

物質のふるまいは、あらゆる物理的法則によって決まる。各量子波の背後には、この宇宙で起こるすべてを導く全能の知的存在がいる。

わたしたちは単に、神の手中にあるひとつの波にすぎない。

 

空間とは意識である。無限の意識は、無限の空間だ。個々人の意識は、生という無限空間を流れる単なるひとつの波だ。わたしたちの視点からは、ひとりひとりの意識はばらばらで、宇宙から独立しているように見えるかもしれないが、生という無限空間の海を個々に流れる波というだけのことだ。波はつねに海につながり、導かれている。海から切り離すことのできる波など、ひとつとしてない。量子場という海をつかさどる全能の知的存在が、映画のなかで起こるすべての監督である。

 

ひとたび個々の波から抜け出して海と一体になる方法を学べば、海全体の視点から真理を見渡すことができる。

その眺めはもはや、個々の波、すなわち個人的なものではない。普遍的なのだ。

この普遍的知性は、全能で無限で、愛にあふれ、そしてかしこい。この宇宙の普遍的知性を見出すことが、いずれの人生においても直面する試練となる。しかし、それに気づいたとき、自らの悟りの叡智を見つけ出し、至高の人生を実現できるのだ。

 

悟ると、大いなる意識が今生の原作者だということがわかる。身体は映画の役者で、思考の働きによって台本が書き変えられることもだ。

あなたも、わたしの人生の出来事を振り返る旅に一緒に出かけ、思考が無限に広がるような発見をしてみてはどうか。

 

この本でお伝えすることは、すべて実際の出来事にもとづいている。

 

フィクションではないし、作り話もない。

 

これが、わたしの旅だったのだ。

その一歩一歩を支えてくれた素晴らしい師をもてたことに、わたしは深く感謝している。

 

ありがたいことに、進めば進むほどに、夢のように素晴らしい歩みとなっていた。

 

ここにかつて恩師マハリシからもらった言葉をご紹介しよう。

 

「光に向かって足を一歩踏み出すごとに、光は明るさを増す。それは、いつか光のなかに足を踏み入れるということではない。道を進むほど、光がより明るくなっていくということだ。光に向かって歩みなさい。闇が消えるまで進み続けなさい」

 

ここで出てくるマハリシとは

TM瞑想創始者

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーを指す。

 

 

・・・・以上がはじめにの全文でした🎵

 

 

わたしは誰❔

どうやってここに来たのだろう❔

ここにいる目的は何❔

 

皆さんの中にも同じ気持ちの人がいたら・・・・

 

是非この本を手にとって

 

この本の著者

 

ボブ・フィックスさんと共に

 

自らの内に向き直り・・・

 

無限空間の旅をしてみるのもいいのでは

ないでしょうか❔笑(*´ω`*)

 

 

 

私は二度目にこの本をパラパラとめくっていて・・・・ふと気になるところで手を止めていた。

 

 

そこに書かれている内容が・・・物凄く

 

腑に落ちたからだ❕❗

 

その箇所だけ残しておきますね。

 

「毎瞬毎瞬を、心を全開にして雑念なく見ることができれば、どの瞬間も理解し、楽しめるようになる。

ならば訪れた死もそんなふうに見とめ、慌てず怖がらず、次の体験を落ち着いて受け入れることができるのだ❕❗

 

・・・・今ここにただ在ることがどれほど重要かに、初めて気がついた。」

 

 

いつかこの言葉が皆さんにも

 

腑に落ちるときがくるかもしれませんね。

 

 

そうそう。

 

ボブ・フィックスさんの恩師マハリシさんの本が・・・実のところ、この本より一足先に

わたしのところに来ていました。

 

 

その本が

 

超越瞑想

でした。

 

あと、ボブ・フィックスさんと同じように

マハリシさんの元で瞑想していたお友だちが

 

ジョン・グレイさんでした。

 

なんとなく繋がっている宇宙を感じます🎵

 

 

早速、ジョン・グレイさんの本を

 

見つけたよ🎵笑(*´ω`*)

 

 

やっぱりみんな繋がってるね❤

 

 

ありがとうございました。

 

今回はこの辺で🎵笑(*´ω`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🎵問題は解決するな🎵 Kan.著

いつもありがとうございます。笑(*´ω`*)

新しい職場でもうすぐ3ヶ月が過ぎようとしております🎵笑(*´ω`*)

 

前回紹介した本の中で、

ホリエモンさんが

残した言葉がありましたよね。

 

「はたらこう❗」

 

・・・・私は今、働いています。

 

与えられた環境のなかで、

やりがいを見つけながら・・・笑(*´ω`*)

 

働けるところがあるというのは幸いです。

 

環境が変わればいろんな出来事も

変わってきますね。

 

・・・わたしの問題も❔

かわってきます。笑(*´ω`*)

 

 

生活リズム・・・

人間関係・・・

食生活・・・

行動パターン・・・まぁいろいろと。

 

 

良いことも悪いことも・・・

 

問題山積み❔的な・・・

 

 

そんなときにであったのが今回の本❕❗

 

「問題は解決するな❗」

                                                  Kan.著

でした。

 

表紙にもありました。

 

「毎日が矛盾でいっぱいだったら、人生が順調にいっている証拠❕❗」

 

「地球というせつない星で生きるための人生の極意」

 

「起きていることを味わいつくすと、「問題」は消えていく。」

 

・・・・

 

なるほど。さて、どんな内容なのでしょう🎵

 

はじめに・・・というところから残しておこうとおもいます。

 

 

はじめに・・・

 

もし今、生きることに違和感を感じているなら、自分が周囲と調和していないと感じているなら、あなたはこう思っているかもしれません。

 

「自分に起きている問題を解決しなければならない」と。

 

まず、その錯覚から覚める必要があります。

道は、そこから始まります。

 

毎日、あらゆる場面でさまざまな「問題」が、果てしなく起こり続けています。

 

しかし、それらを解決しようとすることは、無駄なことです。やめていいことです。

 

一時的に問題が解決したかのように見えても、必ずまた問題は起こります。

 

なぜなら、この地球で問題は起こるべくして起こっているからです。

 

等身大で、自分の生活を、職場を、社会を見てみて下さい。

 

すると、「やっぱり世界は矛盾だらけだ。だから、問題が起こるのは当然なんだ」と気づくでしょう。

 

そこで問題を解決することに取り組むと、進むべき方向を取り違えてしまいます。

 

問題は、人が解決するのではありません。

では、人は何をすればいいのか。

 

目を覚まして、日々起きてくる出来事とただ出会っていくことです。

 

社会がつくっているしくみにがんじからめになり、眠らされている自分に気づくことです。

 

そうすれば、自分の中にある罪悪感や無価値感、怒り、怖れ、悲しみ、そんな感情を、そのまま見てあげることができるようになります。

 

今は錆ついている自分の力を、思い出せるようになります。

 

そして、問題をそのまま受け止めて、解決せずに生きることを選べるようになります。

 

そうやって生きていくと、あなたの中に毎日を幸せに過ごせる種が見つかり、芽吹くかもしれない。

 

その種が見つかると、「あぁ、これでいいんだ」と必ず思えるようになります。

 

そして、まったく新しい生き方が花開いていきます。

 

「誰かから教えられたから」ではなく、自分自身でその道を歩けるようになります。

 

だから、矛盾は矛盾のままでいい。

人生が矛盾でいっぱいだったら、

順調にいっている。そうとらえてください。

 

 

 

問題を解決せずに、自分を開き、この瞬間とただ出会っていく。

 

そんな生き方は、あらゆるものとの「共振」を生んでいきます。

この「共振」こそ、これから始まる未知の時代を生きていくための鍵になります。

 

自分の人生のもっとも大切なところに使うべき感性や力を、日常の中で問題解決に費やすほど無駄なことはありません。

 

あなたが心と体と感情のバランスをとり、宇宙と共振しながら生きていけるよう、この本を書きました。

 

この本は、あなたが生まれ持った力に気づき、この瞬間をハートで感じながら生きることを選べるように構成されています。

 

読み終えたところがゴールではありません。

 

読み終えて本を置いたその時、スタートもゴールもないと知るでしょう。

 

もしかすると、読み進めるうちにうまく理解できないと感じる部分があるかもしれません。しかし、それでいいのです。

すぐに理解できたと思えることなど危ういと私はおもいます。

 

もし途中でわからないと感じる部分があれば、「保留」にしておいてください。

 

そのまま持ち続け、時がくれば、きっと腑に落ちる瞬間が訪れるでしょう。

 

その時まで、折に触れこの本を手に取ってください。この本は、そんなふうに読んでもらうための本です。

 

 

いかがでしたか❔

 

読みたくなった人もそうでない人も

自分の感情を感じて見てくださいね。

 

 

私は不思議なことが大好きです。

直ぐに信じてしまうところが・・・

 

それもありと言うことで。

 

なんで、こんな話をするのか❔

 

実はこの本の中に一つだけ不思議な話が出てくるんです🎵笑(*´ω`*)

 

序章のところでね。

 

・・・・

そに時、大学生だった私は病院のベッドに横たわり天井を見つめていました。

 

医師から「一生車イス生活になるだろう」と宣告され、すでに一週間が過ぎていました。

 

ラグビーの事故による脊髄損傷。

一瞬にして背骨は粉々に砕け、神経が切断されました。

 

体を動かすことのできない私にできるのは、病院の無機質な天井をただ見つめることだけ。・・・私は、人生に絶望していました。

 

その足音が聞こえてきたのは、午前0時を過ぎた頃のことです。

 

特徴ある足音は、まっすぐ私の部屋に近づいて来ました。

 

「部外者が入るはずもない病院で、こんな夜中に誰だろう」と、私は思いました。

 

足音は、部屋の前でピタッと止まり、静かにドアが開いて、一人の老人が入ってきました。

 

会ったこともない、どこの国の人かもわからない不思議な老人です。

 

彼はなぜか私の名前を知っていて、「カン」と私に呼びかけ、こう言いました。

 

「今からひとつの行を伝授しよう。やるかやらないかは自分次第だが、やり続けたら、やがて、生命エネルギーというものが何か、わかるようになるだろう。そして、いつの日か宇宙の真実を全身全霊で理解するだろう」

 

言い終わると彼は、あるポーズを私に教えました。

そして、静かに部屋を出て行きました。

 

ほんの数分の出来事です。私は、呆然としました。

 

あの老人は誰なんだ。いったい今、何が起こったんだ・・・。

 

もちろん、いくら考えても、答えがわかるはずはありません。

 

そして、ベッドに寝ているしかない私にできることは、老人が教えてくれたポーズを取る以外に何もありませんでした。

 

そのポーズとは、両手を伸ばし、体の前で輪の形を作るという簡単なものです。

 

一生歩けないと言われたのだから、彼が誰なのかを考えるよりも、もうやってみるしかない。私は、そう覚悟を決めました。

 

私は、その夜から来る日も来る日も、食事や睡眠、トイレ以外の時間は、休むことなくそのポーズを取り続けました。

 

一週間後、足先が動かせるようになりました。

そして、一ヶ月後、レントゲンの写真が劇的な変化を見せました。

 

ぐちゃぐちゃに砕けていた背骨がつながり始めていたのです。

 

切断されていた神経がつながり、体がどんどんよみがえってくる感覚を味わいました。

そして、私は直感しました。

 

「これが生命エネルギーというものか。このエネルギーに関わることが、自分のライフワークになっていくだろう」と。

 

この直感通り、私の人生はその後、真実を探求する人生となっていきました。

 

老人から教えられた姿勢を取り始めた時、私は今までとまったく違う感覚が体の中を流れ始めたのを察知しました。そして、自分の知らなかった体のしくみが人間にはあるということに気づきました。

 

人間の存在というのは、実は、子供のころから習ってきたこととは違うものによって支えられている。

そんな実感を、持つようになっていったのです。・・・・・・・

 

 

まだあと続くのですが。

 

で、私はやってみたんです。

 

なんとなく書いてあるポーズを。

 

すると、どうでしょう。

 

数日して、気づいたんですが・・・

 

ここ数ヶ月痛かった右側腰の痛みが・・・

 

あれ❔痛くない・・・えぇ~~マジ~~❕❗

 

って感じでした。

 

今のところまだ、痛くないんです。

 

単に不思議なことを体験したのか❔

 

よくわからないのですが。

 

生命エネルギーというものを意識するようになりました🎵笑(*´ω`*)

 

なので・・・この本は直ぐに読みましたね🎵

 

Kan.さんは不思議な人❔

私も不思議な人❔

 

みんなも不思議な人❔

 

人間は不思議なことでいっぱいかも🎵

 

でもね、この本は不思議でも何でもない。

 

現実的な本だと思いました🎵笑(*´ω`*)

 

 

全部紹介したいんですけど・・・

 

疲れます🎵笑(*´ω`*)

 

見出し的なところだけ・・・笑(*´ω`*)

 

第一章

問題は、「問題」ではない。

☆問題にエネルギーを注ぐと燃え上がるだけ

☆いやなら、逃げる

☆本当に困る手前で、解決ゲームに参加しない

☆人生の醍醐味は、未知に遭遇したところにある

☆痛いときは、痛がればいい

☆波のないサーフィンはおもしろくない

☆あきらめると、新しいことが始まる

☆「瞬間完結」で生きていく

☆事実と思い込みをきっちり分ける

☆「習ったこと」から「備わっていること」へ

☆問題に取り組まないことに、真剣に取り組む

☆「見ること」の効用

☆「なりたい自分」を目指さない

☆自分の願望を検証してみる

☆地球はせつない星だと知る

 

 

第二章

人は、矛盾した地球に生きる矛盾した存在

 

☆本当の「今、ここにいる」とは?

☆人間には、真逆のものが同居している

☆人は愛を説きながら、軍事システムを作動させている

☆「頭」「ハート」「体」の三つのセンター

☆昆虫は、人間よりも「宇宙に適(かな)う生き方」をしている

☆三つのセンターのバランスをとる

☆宇宙で生きることは、既知と未知とのせめぎあい

☆隠された情報を持つジャンクDNA

☆人は、脈を打っているだけで生きている価値がある

☆鼓動に耳を澄ます

☆自分の鼓動とひとつになる

☆自分のリズムを認めると、新たな共振が生まれる

☆共振は、いつでも起きている

☆共振は、生きる糧になる

 

 

第三章

「メイド・イン・地球」の自分で生きる

 

☆自分探しなど、時間の無駄

☆自分の循環が整うと、お金の循環が整う

☆三つの循環

☆歩くことには、大きな秘密が隠されている

☆歩くと、本当に立つことができるようになる

☆自分という神殿

☆ただ「立つ」とは、「ゼロ」であること

☆世界はどこまでも自分自身の延長

☆息を吐ける奇跡、吸える奇跡に気づく

☆中和の力が問題を解決していく

 

 

第四章

「今」と出会い、共振を起こす体をはぐくむ

 

☆我々は太陽を食べて生きている

☆朝日を浴びる

☆一本の木と交流する

☆くるぶしをなでる

☆すべてを手放して寝る

☆五感を信用しすぎない

☆人は、フォーカスした世界に振り回されている

☆スプーンの中に宇宙の法則がある

☆現象の正体は、「凪(なぎ)」と「波」

☆「断片」から世界を知る

 

 

第五章

感情というお天気とつきあう

 

☆感情は、頭と体をつないでいる

☆喜怒哀楽は「瞬間」だと気づく

☆「感情もどき」にだまされない

☆言葉に心を乗っ取られない

☆感情をきちんと感じきる

☆「24時間後に怒る」と決める

☆感情に溺れるのは、快感を求めているから

☆喜怒哀楽のバランスが取れると「楽」になる

☆「知っているのは「誰」?」

☆ユニークで、不完全な自分でいい

 

 

第六章

人生をハートで味わいつくす

 

☆どの時間も、自分にギフトされた大切な時間

☆ハートを見つけるということ

☆自分のリアリティーがすべて

☆人生の使命は「生きること」

☆「目標」は、付箋のようなもの

☆自分に起きた出来事に、本当に出会っていく

☆名画を「所有」できるのは誰か

☆水平移動をやめて垂直方向へ離陸する

☆せつない誰かのそばに、そっといる

☆「ベールの自分」を本当の自分にだと思わない

☆共振すると何が起きるか

☆遠い約束を果たすために

☆瞬間を味わい、ハートで生きる

 

 

などなどです。

 

 

問題は解決するな・・・

と言われても

 

解決したくなるのが人間なのかも❔

 

ほんとに矛盾だらけのこの世界で

 

矛盾と・・・

ただ出会い

ただ見て

ただ楽しむ❔

 

 

そんな矛盾した自分を感じてみよう🎵

 

いつの日か・・・

宇宙の真実を

全身全霊で理解できるのかなぁ~~🎵

 

 

さぁ本日も

 

矛盾だらけの一日を

 

全身で感じきろう~~🎵

 

 

ほんとにせつないこの星です。

🎵ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく🎵 堀江貴文 著

おはようございます🎵笑(*´ω`*)

 

旅・息子のお話からになりますが、

 

昨年暮れにオーストラリアをまわって、

一時帰国という感じなのか・・・

 

我が家に帰ってきてました。笑(*´ω`*)

 

おかげさまで、息子も無事、新成人となり

 

先日、帰国目的である・・・

 

成人式に無事❔

参加できました。笑(*´ω`*)

 

 

というのも、前日は高校の同窓会・・・

当日の朝に帰って来て・・・・

 

「あっ、成人式、今日だった❕❗」

 

「かぁちゃん、髪セットしに行きたい❕❗」

 

「スーツ借りないかん❕❗」

 

「靴もない❕❗」

 

「どうしよう❔」

 

・・・・そんな感じで友達に聞いたりと

 

バタバタでした。(T_T)

 

しまいには、

 

「俺、どうやって会場までいこうか❔」

 

って・・・・

 

(今時の若いもんわ・・・)

 

って、突っ込みどころ満載ですが。

 

その日は帰らず・・・引き続き

 

中学の同窓会🎵

 

帰ってきたのは次の日の朝でした。

 

そして、その翌日・・・・

 

新たな旅へと・・・旅立ちました🎵

 

次の目的地は二度目のタイ🎵らしい。

 

子供の事に関して・・・いろんなことを言われます。

 

良いことも、悪いことも🎵

 

そのすべてのことが・・・

 

あぁ自分なんだ~~って思える。

 

もちろん、息子に言いたいことも

言わないけないこともいろいろ

あるんだろうと思います。

 

そんな息子をみながら・・・

わたしの両親の事を思う・・・・

 

同じ思いをしていたんだろうなぁ❔

 

今もそう。

 

私が、息子を思うように・・・

両親は私を見ているのかもしれません。

 

ただ、わたしは、

 

諦めではなく・・・

 

受け入れたい🎵

 

息子が、これから先やりたいことを

 

見守っていたいし、応援もしたい。

 

良いことも、悪いことも・・・

 

すべては経験という宝物だと思える。

 

そして、最近よく実感します。

 

自分が出したエネルギーは・・・

 

良いも悪いも

 

自分で受け取らなければならない・・・のだと。

 

そして、すべてを手放していく。

 

そうそう。

 

ここから本題です。

 

その、旅・息子が弟にお勧めして

置いていった本が何冊かありまして。

 

その中の一冊が今回の本です。

 

☆ゼロ  なにもない自分に小さなイチを足していく☆

                                                        堀江貴文  著

 

息子が何を読んでいるのか・・・気になるのはわたしだけなのか❔笑(*´ω`*)

 

実際、堀江さんの存在は知っていましたが

・・・何故か読もうと思わなかった❗

 

もしかしたら・・・私と同じ気持ちの人は

いるかも知れませんね🎵笑(*´ω`*)

 

ただ、違ってた。

この本は泣けた❕❗

 

改めて・・・息子に感謝したい。

 

いろいろと

 

気づきの多い本でした。

 

堀江貴文さん🎵

 

ありがとう・・・笑(*´ω`*)

 

みんなやっぱり

 

おんなじだ🎵

 

最後に堀江さんがメッセージをのこしています。

 

その言葉が一番の

 

わたしのお気に入り🎵笑(*´ω`*)

 

それは・・・

 

☆はたらこう🎵☆

 

でした。

 

 

 

あまりにこの本が良かったので・・・

 

早速次男に・・・

 

ホリエモン知っとる❔」

「この人な・・・」

 

って言ったら・・・

 

「母ちゃん、読んだん❔

俺、まだ読んでないけん、言わんとって❕」

 

と言われました🎵笑(*´ω`*)

 

兄から弟に・・・

 

なんかいいね。

 

あと、この本の中で

 

堀江さんが

 

・・・刑務所に収監されていた間、僕は1000冊に及ぶ本を読んだ。・・・

その中で、僕がもっとも感動した小説はなにか?

これは間違いなく、

重松  清さんの「とんび」である。

 

・・・・・・と。

 

わたしはその「とんび」を読んでみたくなりました🎵

 

そして、思い出しました🎵

私にもあったんです・・・私がこんなに本を読むようになる前に。

 

とても感動した本が❕❗

 

塩狩峠

 

誰が書いたか覚えてませんが・・・

 

泣きました🎵笑(*´ω`*)

 

懐かしくおもいます。

 

 

あと、本文中に

・・・・

ときおり、「堀江さんの座右の銘はなんですか?」と聞かれることがある。

 

もともと座右の銘など持っていないのだが、あまりに多く聞かれる質問なので、いつのころからか、

諸行無常、ですよ」

と答えることにしている。これは座右の銘でも仏教的な心構えでもなく、

世の中の真理だ。

 

万物は流転する。すべては流れる川のように、ひとときとして同じ姿をとどめない。

 

たとえば鏡に映る昨日の自分と今日の自分は、どこにも違いがないように見える。

しかし、5年10年経てば大きな違いが出ているはずだ。

それはどこかの段階で大きく変わったのではなく、日々刻々と小さな変化を積み重ねた結果なのだ。

昨日の自分と今日の自分は、さっきの自分といまの自分は、違っているのである。

 

諸行無常の原則は、組織やビジネス、さらには人間関係にも当てはまる。

 

組織は動き、ビジネスは変化する。大小さまざまな出会いと別れが、人間関係を更新していく。

 

現状維持などありえない。

僕は変わり、変わらざるをえない。

 

僕を取り囲む環境もまた、変わっていく。

 

なにを得ようと、なにを失おうと、

未練など生まれるはずもないのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

諸行無常🎵」

 

ほんとにそのとおりかも。笑(*´ω`*)

 

 

わたしはふっと思いました❕❗

 

☆令和・れいわ☆のいま。

 

令(れい)=ゼロ

和(わ)=足していく

 

☆今☆いま☆にピッタリ❕❗

 

かなって。笑(*´ω`*)

 

是非是非🎵

 

読んでみてね~~🎵笑(*´ω`*)

 

さあ🎵

 

今日も元気に

 

はたらこう🎵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🎍謹賀新年🎍シンクロニシティ 秋山眞人 著

❤謹賀新年❤

 

🎵明けまして

              おめでとうございます🎵

 

本年も宜しくお願い致します🎵笑(*´ω`*)

 

2020年❤

初めて紹介する本は・・・

 

シンクロニシティ

・・願望が実現する「偶然」のパワー・・

                                                         秋山眞人   著

です。

 

表紙より・・・

 

未来を見通せる❗現実を変えられる❕

驚異のスピリチュアル・セオリー

 

☆夢や虫の知らせの意味に気づき、活用できる

☆数字・図形の力で、運命を作為的に操作できる

☆大事件や災害の予兆をキャッチし回避できる

☆時勢のゆくえや、流行の周期がつかめる

 

「意味ある偶然の一致」は

あなたに"重大な真実"を告げている❕❗

 

 

表紙裏より

 

シンクロニシティの文献万巻を読みつくした著者が、最新の量子論から古の呪術書の知見までを駆使し、迷宮のごとき「偶然の一致事象のメカニズム」を究明。

今日の服装や日付の数字、空に浮かぶ雲の形まで、それらが暗示する恐るべき意味の解読法を明かす。

望みどおりの未来を引き寄せ、災厄を遠ざける

超自然界の奥義を満載した、現代の奇書❕❗

 

 

・・・・・

わたしも、知りたいことばっかりだったので・・・

 

あっという間に読んでしまったけど。

 

皆さんもよで見てくださいね🎵

 

気になったところを残しておきますね

 

・・・・・・

本文より

 

「ナンバー」シンクロニシティ操作術

 

数字で知る「シンクロニシティ・ゾーン」

偶然現れたようにみえる数字も、実はコントロールできる。

そういうと「まさか!」と思うかもしれないが、本当に数字が集まってくる。

 

我々の世界は数字であふれている。数字でシンクロニシティを起こしたければ、まず数字を半ば意識して全体的に見ることだ。

意識してキョロキョロするのではなく、やはりリラックスして意念淡白の状態でみるのてある。

 

その時、たまたま向こうからやってくる数字や、繰り返し向こうからやってくる数字に着目するのだ。自分が予想していなかった場所や意識していない場所に書かれた数字が目についたときは、シンクロニシティである可能性が高い。

 

このように数字や日付に絡んで、普段起こらないようなことが続けざまに起きるのは、シンクロニシティが起こり始めたことを示している。

そのとき、数字を観察して、その意味を知れば、人生に役立てることができるのである。

 

・・・・シンクロ度の弱い数字は、カレンダーの数字とか、時間の数字だ。

つまり普段よく見慣れている数字は、シンクロ度が低い。

それでも、カレンダーや時間でシンクロ度が高くなると、ゾロ目として現れる。

 

さらに強くなると、クルマのナンバー・プレートの数字に表れてくる。

クルマなど移動しながらやってくる数字で、ゾロ目が続出するようになるとシンクロ度はかなり高い。

また、自分の誕生日が連発する場合も強いシンクロニシティだ。

特に午前中、まだナンバー・プレートをたくさん見ていないとき、あるいは最初に目に入ってくる番号は、シンクロ度が非常に高い。

あるいは、起きて最初にみた時間が、なくなればゾロ目だったりしたら、シンクロ度が極めて高いといっていいだろう。

いちばん強力なのは、みたこともないような場所に書かれた数字を見たときだ。たまたますれ違った人が落とした紙を拾ったら、そこに書かれていた数字が意味のある数字だったりすれば、それはシンクロニシティに間違いないのである。

このようなシンクロ度の高い数字が集まってきたら、それは自分がシンクロニシティのゾーン(領域)に入ったことを意味する。

 

 

・・・・・・

 

「服飾」シンクロニシティ操作術

 

服飾界は呪術だらけ

 

シンクロニシティ・コントロールのある種、呪術的な伝承の世界でいちばん大切なのは、自分の体に、良いシンクロニシティを起こすもととなる、種のようなものが蓄えられるようにすることだ。

 

中国ではそれを「気」ととらえている。

気を練って強くするのである。

同時に気が汚れないように守るということも必要になる。大切なものにいろいろな人の思いや感傷が加わると、気が乱れたり減ったりすると考えるわけである。

これと同じような発想は、日本の古神道儀礼や西洋のカバラなどの呪術的世界にも見受けられる。

 

その延長線上にあるのが、ここでのべる服飾のシンクロニシティである。

 

そもそも、服装そのものが、もともとは呪術的なことから発達したといわれている。

そのなかでよく使われるのが、

たとえば若い娘の汚れなき魂を守るためには、花柄を身につけることだ。

赤い色を身に纏うのもいい。

男性の邪視から守るためにペイズリー柄のバンダナやスカーフを身に着けたり、複雑柄、唐草模様のものを着たりするのも効果的だ。

 

とくに服飾のなかでは、鉱石や宝石類とも関連してくるが、シンクロニシティの力が乱れやすい胸の辺りや耳の縁に石を配置したり、金属を配置したりする方法が有効である。

 

それがペンダントやイヤリングだ。

イヤリングは本来、人の悪口を聞かないための呪いで、ペンダントは心臓のリズムを他人によって乱されないようにする呪いであった。

こうした服飾によって、自分のペースを守ろうとしたわけである。

 

白と赤と青の色で重ね着をする方法も効果的だ。そうすると、邪気が入らなくなる。

折ったり曲げたりしたもので囲んだり包んだりすると、悪いシンクロニシティの影響を受けなくなる。

折り曲がったものとは、襞のあるギャザースカートやプリーツスカート、折り曲げてフワフワにしたフリルを身につける服飾のことだ。格子柄、チェックもいい。

こうした服飾は、悪いシンクロニシティを遮断することができる。

 

逆に横縞や縦縞の服は、囚人服が有名だが、世界中で古来から悪事を働いた人に着せた。このことからもわかるように、その人のシンクロニシティを封じる力があると考えられている。

縦縞は頭角を現しづらくなるし、横縞はやっている努力がみとめられなくなったり実らなくなったりするといわれている。

 

あまりにもはっきりした縦縞や横縞は服飾として着るべきではない。

 

ネクタイにも、いろいろなシンクロニシティがある。

 

・・・・・・・

 

まぁこんな感じでつづいてますが。

 

 

ながくなるのでやめました🎵笑(*´ω`*)

 

最後に

 

あとがきのところを残しておわりますね。

 

あとがき・・・

 

心のあり方が宇宙を創る

 

ここで改めて、シンクロニシティをコントロールする「心のあり方」の極意を伝授しよう。

まずは、「いま」という素敵な心の椅子に座ることだ。

これはどういうことかというと、過去とも未来とも切り離した「いま」という人生の舞台に「なんとなく」でよいから心を置いてみることから始めるということである。

 

それは空間にポカンと浮かんだ感じであるかもしれないし、ある種の瞑想と呼べる心の状態であるかもしれない。複雑に考える必要はない。「ここにいま、自分がある」という淡い想いがあればそれでいい。

 

この状態は、過去の過ちや運の悪さ、心地よくない習慣やジンクスとも何一つ関係はないと想うことでもある。過去にとらわれず、未来にも縛られず、時間のしがらみを一切絶ち、ただ「いま」だけを想う。重要なのは、あなたの大切な心を、過去のトラブルや悪いシンクロニシティの起きた時空の「定住者」にしてはならないということだ。嫌な思いが浮かんできたら、感情を切り離して、ぼんやりした「いま」を楽しむようにする。

過去のつらいイメージや思いは、人生のなかで時々顔を出す。それを消すことが難しければ、少しだけそらを傍らにずらすだけでもよい。

あなたがやるべき最優先事項は、なるべく質のよい「いま」という椅子に軽く座ることなのだ。

 

・・・・・

我々の日常の人生は、限られた小さい素材の積み上げから成っている。知識、仕事、人間関係、物質、時間、衣食住などだ。

日常の現実は、いわば社会というパズルゲームにすぎない。

しかしあなたの心は、ゲーム盤のような物質的な限定を越えて、本質的にもっともっと大きい。あなたが描くことができるイメージは無限である。あなたは大きな宇宙の意志とつながっている。いや、むしろ大きな宇宙の意志の一部なのである。そのことを、事あるごとに考え、感じ、味わうのだ。

 

知識や仕事、物や時間は、大きなものとあなたとの交流を補う、ささやかな道具であると思った方がよい。というのも、宇宙の意志は、あなたという個性を通じて、この世界を眺めているからである。言い換えると、あなたは宇宙の手(触覚)であり、目(視覚)であり、耳(聴覚)であり、鼻(嗅覚)であり、舌(味覚)である。だからこそあなたは尊く、あなた自身とその道具を大切にしなければならないのだ。そう思うことによって初めて、日常の現実を、柔らかく、バランスよく、軽やかに生きることができるようになるのである。

 

こうした心の状態を保ちながら、明確なプランと目的をもって着実に日常を歩んで行くことだ。激しい日常ではなく、バランスよく、明るく軽やかに楽しんで生きるのである。

 

そうしているうちに、不思議な出会いや、情報の引き寄せが起こるようになる。そして数年すると、とても見晴らしのよい世界に立っていたりするものである。

 

詰まるところ、シンクロニシティは強大な宇宙の意志とあなたとの創作活動なのだ。このことを理解できたのなら、運などあっという間に好転してしまう。シンクロニシティ・コントローラーの道は、眼前に広がっているのだ。

 

・・・・・・

 

いかがでしたでしょうか。

🎵シンクロニシティ・コントローラー🎵

 

皆さんも使いこなして見てくださいね❤

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

9999

物事が統合される、くくられるとき。

まとまる、終わる、締め括られるような現象が起こる。それまでのパターンをバラバラにするという力がある。

 

9999

の意味のシンクロニシティ🎵でした。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

それでは皆さん🎵

 

素敵な一年の

 

始まりはじまり~~🎵笑(*´ω`*)

❤無条件の愛❤ ポール・フェリーニ 著

皆さん🎵

今年も一年間

🎵ありがとうございます🎵

 

あっという間の一年間でした🎵笑(*´ω`*)

 

今思うこと・・・・

今できること・・・・

 

それは

 

❤感謝です❤

 

出逢えた人たち・・・

 

出逢えた出来事・・・

 

出逢えた存在・・・

 

そんなあらゆるすべてに・・・

 

そして、

 

❤あ❤な❤た❤に

心から

 

❤ありがとう❤

 

と。笑(*´ω`*)

 

 

今になってようやく

 

ひもとかれていこうとしている・・・

 

❤わ❤た❤し❤

 

         と

 

❤あ❤な❤た❤

 

あたしはあなたであり

 

あなたはわたし・・・・

 

 

なぞなぞでもなんでもないけれど、

 

 

私が

 

始めたことを

 

終わらせる・・・・

 

 

始まりもなければ

 

終わりもない・・・・

 

ただ

 

今ここに

 

ただ

 

在るだけ・・・・

 

 

あなたが

 

始めたことを

 

終わらせる・・・・

 

始まりもなければ

 

終わりもない・・・・

 

ただ

 

今ここに

 

ただ

 

在るだけ・・・

 

 

私は今

 

大好きなピンクの薔薇柄のカップ

 

大好きなコーヒーを

 

飲んでいます。

 

そして、先日届けられた・・・

 

私の大好きな

 

ハワイの

 

ホノルルクッキー🎵

 

を食べています。

 

単純です。笑(*´ω`*)

 

今とっても

 

しあわせです。

 

なにもない年末に・・・

 

私の心は

 

いつになく

 

穏やかです。笑(*´ω`*)

 

そんな一年の締めに・・・

 

今まで読んだ本のなかでも・・・

 

今一番🎵

 

わたしにピッタリで、

 

皆さん🎵にもピッタリかもしれない

 

私のお気に入りの本を

 

紹介しますね❤笑(*´ω`*)

 

この本も最近出逢いました❤

 

 

 

❤無条件の愛❤

~~キリスト意識を鏡として~~

 

ポール・フェリーニ

 

本文より・・・・

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

讃歌

 

在るのは神のひとり子

そしてあなたと彼のみ

 

彼からあなたは受けとり

彼にあなたは与える

 

自分自身を見るときは

思いだすがよい

 

兄弟を見るときは

思いだすがよい

 

恐れて顔をそむけるとき

次のことだけを思い出すがよい

 

主体と客体

愛するものと愛されるもの

 

それらはふたつではなく

おなじひとつのもの

 

あなたの与えるもの

そしてあなたの受けとるもの

 

それはおたがいの

鏡の反映にすぎないのだ

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

ゆるしの道

 

わたしがゆるしの道を選んだのは、それだけが傷口の上にがっちりとかけられた、時間という錠を開くことができるからです。

時間が、なくなれば、傷もなくなります。

 

過去を手放せば、悲しみの種もなくなります。かんたんな話ではありませんか?

 

時間は傷をリアルなものに見せます。しかしひとつとしてリアルな傷などはありません。

 

あなたが一瞬でも時間を消すことができたらーーーできることは保証しますがーーー救いということが理解できます。

 

その無時間の瞬間には、過去にあなたが言ったりしたことは、何ひとつ意味をもちません。その瞬間には何ひとつ、所有しているものはありません。過去もなければ未来もなく、アイデンティティもありません。

それは純粋な存在の瞬間、非-分離、非-判断の瞬間です。

 

それはあなたみずからは知らずして、あらゆる時間のなかに住む瞬間です。

想像してごらんなさい。あなたはすでに天国にいるのに、そのことに気づかないのです。

 

あなたは天国にいますが、その天国はあにたには受け入れがたいものです。

 

天国はあなたのエゴも、計画も、夢も、支援しません。天国はあなたの苦闘も、学びも、そしてゆるしのプロセスも支援しません。

 

天国では、ゆるしの必要がないのです。なぜでしょう。それは天国では誰にも罪がないからです。現在の瞬間住んでいるものは、罪を犯すこともなく、誤った考えを抱くこともありません。

 

天国はあなたの「罪と罰」のソープオペラを支援しません。

「罪と救い」のソープオペラもです。

天国では何ひとつ正すべきことは存在しないのです。

 

この瞬間にもまた、正すべきものは何もありません。忘れないでください。そうすれば、あなたは王国にいられます。

 

あなたは「善人になる」ことで天国に行けると思っています。しかし、「善人」がどういうものかについては、だれひとり意見が一致しないでしょう。

天国へのロードマップがぐしゃぐしゃの迷路になっているのは、ふしぎでもなんでもありません。

 

なかにはいくらか悟った人もいます。そういう人は、過ちをおかしてもだいじょうぶだが、罪からは救われねばならないと信じています。また、自分のいままでの生き方を否定して、わたしがあなたがたの罪のために死んだということを理解しなければならないと言います。友よ、これはまったくのたわごとです。

 

なぜわたしが、あなたの罪のために死ぬのですか。わたしの罪でもないのに。きっとあなたがたはわたしのことを、よほど度量の広い人間だと考えているのでしょう。

わたしがたいへんな「善人」なので、あなたがたの罪をぜんぶひっかぶっても影響されず、平気なのだと思っているのでしょうね。

 

わたしのおかげであなたがたは万事オーケーだ、というわけでしょうか。

 

はたして、そうなのでしょうか。あなたがたは、自分の救いはわたしにかかっていると信じているのですか。もしわたしが、それを裏切ったら?

またわたしを十字架につけるのでしょうか。

それとも自殺してしまいますか。万事オーケーにいたりつくためのあなたがたのやりかたは、そんなふうなのです。

 

わたしが言っているのは、少々ちがうことです。そう、万事はオーケーですが、それははるかな未来においてでもなければ、あなたがたの信仰を示す行為によってそうなるのでもありません。

すべてはたったいまオーケーであって、あなたが世界のどこかしらを正す必要もなく、わたしがどこかを正す必要もないのです。

 

これを理解するには、ゆるしのプロセスを実践する必要があります。だれか、または何かが誤っていると思ったら、そういう考えを抱いた自分自身をゆるしてください。自分が誤っていると思ったら、そう思った自分をゆるしてください。

 

自分自身に言うのです。

「これは誤っているように見えるが、わたしにいったい何がわかるだろう。わたしが見たくない、でも見るべきものが、ここにあるのかもしれない。だからこそ誤っていると思ったのだろう。自分が見たくないからだ」

 

非難したいものごとを、進んでよく見てください。それこそ罪悪感を脱ぎ捨てるてっとりばやい道です。

あなたが誤りだと思うものでも人でも、それはあなたが自分自身の誤っていると思っている箇所を見せてくれているだけです。兄弟よ、それはあなたの罪悪感なのです。

もっとよく見てください。でなければ、それはあなたの人生をむしばみつづけます。

 

幻想の思い込みを真実にしないようにしてください。

自分の判断・批判を正当化するのをやめてください。

 

そんなことをすると、自分と他人が切り離されているという確信を強めるだけです。

 

勇気を持ってください。いまこそ果敢であってください。

あなたを悩ましているのは、あなたの罪悪感にすぎないのを見てください。あなたを悩ませるすべてのものごとを見て、それを深刻に受け止めた自分をゆるしてください。やましいところのある人だけが、自分の狂った世界の中のものごとを何でも深刻に受けとめます。

 

あなたの旅の中でゆるされねばならぬ人間はたったひとり、それはあなたです。

あなたが裁判官です。あなたが陪審員です。あなたが容疑者です。不吉な三位一体ですね❗

 

落ち着いてください、友よ。あなたが他人にこれこれをしたと思い込んでいるのは、自己処罰のひとつの形にすぎません。

罪悪感をもって生きねばならないのは、彼らではなく、あなたなのですから、

自分に罪があると思えば思うほど、自分自身を痛めつけます。罪を他人に投影してその人を痛めつけても、あなたの罪悪感を増すだけです。 

 

この恐怖心の迷宮から抜け出す唯一の道は、ゆるしを実践することです。

 

いろいろなものを判断・批判している自分をゆるすことによって、誤っているとみなす、すべてのものをゆるしなさい。

自分自身へのあわれみ、自分が批判した他人に対するあわれみをもって、自分のしたいちいちの判断・批判をながめます。

それらを正当化しないでください。そうすれば、自分の思い込みの幻想をリアルなものにしないですみます。

 

いまこの瞬間に、恐怖心、判断、そして期待はくつがえります。

 

過去と未来が今という現在に持ちこまれます。あるのはこの瞬間のみ、あなたがいま世界をどう見ているかが、あるのみです。

 

世界が恐ろしいものに見えるなら、自分自身の恐怖心に直面してください。

 

世界をあれこれと批判してながめるなら、自分が自分をどう批判しているかに直面してください。

 

自分の恐怖心や批判がましさをゆるすとき、それらは出ていきます。

 

あなたは、もはやくもりガラスを通してものを見ることがなくなります。

 

ものごとをあるがままにして、くつろいでいます。

 

 

ゆるしが鍵になるのは、傷口をつかんでいるときの指を開かせるからです。

時間のないところに、傷はありえません。

 

兄弟よ、あなたにはいかなる罪もありません。なのにあなたはそうでないと信じています。

そう信じるかぎり、あなたにはゆるしが必要です。

 

それが、自分で自分を閉じこめている思い込みの幻想からの唯一の脱出口です。

 

自分が人を傷つけることができる、あるいは人に傷つけられると、あなたは誤って信じこみました。それが、あなたの世界を動かしている思考です。

ですから、あなたはようやくこの段階にきて、自分の思い込みの結果をすべて見てとり、それが真実でないことを悟るでしょう。

 

もしあなたがたの中にたったひとりでも傷つけられるなら、もしあなたの完全性が苦悩や死によって損なわれたりするものなら、あなたの世界は天国から遠いところにあり、あなたがたの殺人的思考永遠に荒れくるいつづけるでしょう。あなたがたの世界は、暗く癒されようのない世界になるでしょう。

 

ときには、まったくそのとおりに見えることもわたしは知っています。しかし今となってはそれは真実ではなく、かつても真実ではなかったのです。どんな暗黒時代にも。

あなたがたの世界、人生、思考が天国の外にあったことは一度もありません。なぜなら、兄弟よ、天国はここにあるからです。そしていま、あるからです。

 

あなたは自分が見ることを選んだものを見ます。あらゆる知覚は選択だからです。

 

あなたが、見えるものに自分流の意味を押しつけなくなったとき、あなたのスピリチュアルな目が開いて、判断や批判から自由になった世界が終わりのない美しさに輝いているのを目にするでしょう。

 

地上のかせは外れ落ちて、あなたは明るいうえにも明るい星々の中の、自分の場所へのぼってゆきます。そこからわたしのように大地を見下ろして、深いあわれみをもって、こう言うことでしょう。

 

「わたしはあそこを歩いていたときには、恐怖心があり、その中を通りぬけることを学んだ。あそこは聖なる場所だ。あらゆる敵が友となり、友が兄弟となり、師匠となるような場所だ。死や分離という夢がついに終わる"聖地"だ。あの旅ができたことはありがたいし、とうとう故郷に帰ってこれて嬉しい」

 

そしてあなたは、なにも救われるためには、わざわざ旅をする必要はなかったことを知るでしょう。あにたは一点の曇りもない無垢な存在として、故郷にとどまったままでいることもできたのです。しかし旅をしなければ、あなた自身の無垢もわからなかったでしょう。あなたが純粋無垢な存在であることを、わたしも、わたしたちの父=母も知っています。

 

恵みから失墜したことのない天使は、神との共同創造者にはなれません。そうでなければ、意識的な創造ができないからです。意識的に創造するためには、自分の創造物を理解せねばなりません。創造物を理解するためには、それらに加わり、その旅の経験をしなければなりません。

 

それをあなたはしてきたのです、友よ。ようこそ、故郷へ。罪と死の中をあなたがたは通り抜けて、いまや、しみも穢れもない輝かしい存在です。

 

ハレルヤ❕❗ルシファーはもとの天使にもどりました。放蕩息子は帰郷しました。天のすべての天子が歓喜にあふれています。そして自分で旅をしたのもまた、随喜の涙にむせぶのです。

 

 

・・・・・・・・

 

いかがでしたか❔

 

これはほんの一部です。

 

ゆっくりと自分自身と向き合うには・・・とても参考になるかもしれません。ね🎵

 

自作自演か・・・・笑(*´ω`*)

 

という事で・・・実はつい先日・・・

 

新年早々に紹介したい本を見つけました❤

 

 

で、今朝読み終えたところです🎵

 

この本がもしかしたら・・・

 

自作自演❤

 

を手伝ってくれるかもですね🎵

 

 

皆さん🎵

 

ありがとうございます❤

 

ありがとうございます❤

 

ありがとうございます❤