2016年の終わりに🎵
私が手にしている本は⁉
《愛の目を通して》マイケル・J・ローズ
このかたの本でした🎵
一年の節目に読むこととなったこの本は
私の人生の〝羅針盤〟
でもあるように思いました🎵
このブログは私の人生をそのままリアルタイムで、綴っている本の紹介とかですが、
今回の本もまた、今の私へのmessageであり
全ての存在へのmessageでもあるように思いました。
ブログを書きながらいろんなことに気づきます🎵良いか悪いかではなく。
ただ気づきます🎵思います🎵
私という人間は一体どこに存在するのかと。
過去と未来の間
時間と空間の間
人と神の間
善と悪の間
見える世界と見えない世界の間
物質と非物質の間
現実と非現実の間
あなたと私の間
私はこの間を取り除きたい🎵
間《ま》を取りたい。
魔《ま》を取りたい。
まさに
ま、取りっくす。
全ての間がなくなれば、そこに何があるのだろうか?
存在?ワンネス?それとも⁉
等々いろんなことを🎵
今回もまた本文より、
私の心に響いた所を
紹介したいと思います🎵
真の愛は感情ではありません。真理です。でも、私たち人間は愛を感情の一つにしてしまい、愛する人に執着するという失態を犯します。真理において、愛は創造のエネルギーです。制限つきの執着とは無縁の自由です。
トリーニーに対する執着が、大いなる愛を表現しながら成長していくことを制限していました。
私たち人間は、愛を条件つきで狭義のもの、個人的なものにしています。本来、すべての人に対して開かれた無条件なものなのに、条件つきの小さなものにしています。正誤の問題ではなく、それが私たちの現実です。私もそうです。だから、私はこの問題を解決するために生まれてきました。
大いなる愛の本当の意味を学ぶために、セルフ・本当の自分を愛するために、すべての人類のセルフへの愛を表現するために生まれてきたのです。
これまでのところ、無条件の愛についてはそれほどうまくできてはいません。ある程度、自分(self)を愛し、セルフ(Self)を愛することは学びましたし、できる範囲で、トリーニーを愛してきました。ても、年を経るごとにトリーニーに感情的に執着し、感情面で不安を覚えたのも確かです。
愛する人が亡くなると、個人的な愛を向けられる別の人を見つけたり。個人的な愛を体験できない悲しみのうちに人生を送ったりすることがよくあります。喪失からの愛の学びを見出して成長する人たちがいれば、自分の不運を嘆き何も学ばない人たちもいます。もちろん、どちらでも構いません。
どちらにしろ私たちはみな、大いなる愛について同じレッスンを学んでいるのですから。
同学年ではないかもしれませんが、みな同じ地球学校にいるのです。真の愛が私たちの現実であり、人類への愛の表現を抑えることなど不可能です。・・・
というような内容です。
私もまた、
大いなる愛の本当の意味を学ぶために生まれてきたのかもしれませんね。
あと、本文よりとても興味深い内容がありました🎵
「聖書に羊飼いとその群れについて書いてあるだろう」と始まる会話の中で、
「まったく!聖書には、群れから一頭の羊が自分の道を歩もうとすると、羊飼いは群れを離れて、その一頭の羊と共に行くという話がある。神学者はなぜ羊飼いが残りの群れよりもその一頭を重要とするかについて議論するが、そのことを、あなたがどう説明したか覚えているか?」
「もちろんです。それは比喩です。一頭が、意識を成長させるために群れを離れる必要があるとき、羊飼いにはそのことがわかります。それに、群れを離れることでその羊が古くなった行動様式をやめて、すべての羊にとって新しい特質の可能性を開くことを知っています。だから、羊飼いには離れようとする一頭が残りの羊よりも大切なのです。
羊飼いは、残りの群れが遠くへ行かないことを知っています。彼らは群れをなして、同じところを繰り返し歩くことがわかっているからです。」
「あなたが本に書いたことと、羊飼い
の話はどうつながる?」
「なんだか裏をかかれた気分です。これまで書いた本は、一頭の羊、つまり、個人としての人間、群れを離れ、スピリチュアルに新たな表現をする準備のできた人たちのためです。多数よりも、今は数少ない彼らが重要な時代です。より良い、あるいは優れているという意味ではなく、彼らはスピリチュアルな面で、全体にとって重要てす。」
「だから、大勢よりも数少ない人たちが重要であると書き、その信念を持っている。それゆえ、本はあまり売れないし、もっと多くの人に話をする機会は少ない。しかし、あなたの言葉は、制限の古いパターンを破るという素晴らしい可能性を持つ人に届いている」
「そう願います。このことすべてに、私の信念が影響を与えているとは思ってもいませんでした。わかっていたらもっと賢明だったでしょう。私の信念が自分の制限を作り出すのですから。しかし、一頭とは、一人の人についてではなく、一人一人のたくさんの人であり、歴史を通して大多数のために本当の変化を作り出すごく少数の人たちについてです。群れを離れる人々です。イエス・キリストが良い例です」・・・
「マイケル、愛しい人よ。あなたは、深く傷ついている。トリーニーの移行で、ひどいショックを受け、それがまだ尾を引いているのだ。自分に対して忍耐強くなることだ。自分に優しくするのだ。あなたが人々の相談に乗るように、自分にもそうすれば良い。愛しい人から引き離されて感情的なトラウマに苦しんでいるのだから、泣けばいい。悲しみを表現すればいい。しかし、いつも大いなる愛、真理に継続する生命に焦点を置くことだ。より偉大な現実においてあなたは一人ではない。孤独があなたのつれになることは決してないのだから」・・・
「話してあげよう。私たちがあなたを真実へと向けさせるために使ったものこそ、あなたの抵抗だ。私たちに抵抗すればするほど、あなたは、自分の抵抗を打ち壊すために、ますます痛みを引き起こした。私たちに対するあなたの抵抗は、実は、変化への抵抗だったのだ。もちろん、傷みに苦しんでいる間、あなたは弱くなり、抵抗は危くなった。そして、変化があなたを押し流したのだ。自分で作り出した痛みの道で、何度も何度も起きてきたことだ」
「そうして・・・とうとう・・・目覚めた!」
「まったく、その通りだ。しかし、あなたもわかっているように、目覚めはおわりではなく真のスピリチュアルな成長のはじまりだ。覚醒はあなたを幻想から連れ出す。そのため、自己欺瞞による頑固な抵抗はなくなり、成長が容易になる。あなたはここ何年も自分が停滞していることを知っており、内なる成長のないことがいやだった。あなたは、魂のレベルからパワフルに変化を呼び起こし、トリーニーはそれに応えた。彼女は魂のレベルから先へ進みたいと望んでいた。それは、より偉大な現実の非物質的なレベルであなたに付き添えるよう肉体の表現を手放すことだった。あなたたち二人には、魂のレベルでこのことに順応していく時間は十分にあったが、あなたは感情から拒否した。つまり、抵抗したのだ。あなたは、肉体的にも感情的にも一人だ。執着するものはない。トリーニーへの感情的な固執を除けばだが・・・。タイミングが来たとき、あなたは、その感情に取り組み、あなたとすべての人類を一つにする愛だけをあとに残さなければならない。
一人だけに対する愛は、十分ではないのだ。あなたの可能性の一つである教師になるつもりなら、このプロセスを促すために、パンを受け入れたように私を受け入れることだ」・・・
「あなたも知っている通り、本当のあなたであるセルフは永遠だ。現在のあなたの人生は、映画にたとえると、フィルムの中の一枚にすぎない。私たちは、永遠に続くセルフであるあなたの映画の参加者なのだ。あなたの知識の集積よりも、信頼を基にした受容のほうが私は好きだ。簡単にいうと、あなたの物語は、今の人生を終えるまでにまだ長い道のりがあるということだ」・・・
「できるかぎり、する必要のあることをただすることだ。旅し、自分のことを語り、真理と無条件の愛について話し、自分が話すことを日々生きるのだ。それが、あなたの成長の本質だ。あなたが、話すことを生きるなら、あなたの言葉とエネルギーははるかに偉大なパワーを持つことになる」・・・
「彼女は必要な限りあなたのそばにいるだろう。彼女とあなたの道は、たとえ異なった経験をするにしても、一つだ。見えない、感じないことを信頼できればできるほど、そのことがますます明らかになるだろう。何度も何度もあなたは、人々に話している。信頼するようにと。私はあなたに言おう。信頼するのだ。信頼、さらなる信頼だ。信頼することに希望が見えないとき、無駄に思えるときこそ、信頼するのだ。深い絶望の中にいるときも信頼することだ。ハートが粉々に打ち砕かれているときも、信頼だ。信頼は、まだ歩いたことのない領域へとあなたを連れていくだろう。信頼が、これまで見たことのないものをあなたに示すであろう。信頼するのだ」・・・
私はこの最後の信頼の部分がものすごく好きです🎵
2016年の終わりから
2017年の始まりへ
この信頼を繋ぎたい🎵
私のすべての間《ま》を取り、
信頼へと変えたい🎵
《信頼するのだ》
この言葉は私に届けられた
存在からのmessageであり
また
私からのmessageにしたい。
《信頼します》
🌟meke aloha🌟