❇星の巡礼❇パウリョ・コエーリョ著

お久しぶりです。

久々の本の紹介🎵笑(*´ω`*)

このblogのタイトルにもなってる・・・

アルケミスト

の著者パウロ・コエーリョさん💕

このアルケミスト

第二作目の本だったらしく・・・


今回出逢えた

星の巡礼

と言う本によって知ることが出来ました🎵



この

星の巡礼

こそが第一作目だったみたいです。

その25周年の特装版と言うこともあって・・・


本のサイズ(ハガキサイズ?)といいデザインが

とてもシンプルで素敵で・・・笑(*´ω`*)


それが目に止まり

手に取るはこびとなりました。笑(*´ω`*)


この本はパウロ・コエーリョさんの

自伝的要素の強い作品で・・・

神秘的な・・・とか不思議な・・・的な

感じの強い巡礼の旅の本ですね❤


結構深いので・・・意味がわからないかもですが

興味ある方は是非🎵是非🎵笑(*´ω`*)

実は私・・・一回途中まで読んでたんです🎵


まぁ~~いろいろな理由もあって・・・

半年くらいそのままでした🎵笑(*´ω`*)


で今回、本棚の整理をした時に・・・

なんとなく読んでみたくなりました(*^-^*)


自分でもビックリするんですが・・・

今なんやなぁ~~💕

って思いました🎵笑(*´ω`*)




星の巡礼

パウロ・コエーリョ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

本文より・・・

・・・十世紀までのキリスト教もまた、三つの聖なる巡礼の道があると信じていた。

どの巡礼の道も、その道をきわめる者に対して、一連の祝福と免罪を与えるとされていた。

第一の道は、ローマの聖ぺトロの墓への道であった。ワンダラーと呼びならわされているこの巡礼の道への旅人たちは、十字架をその印としていた。

第二の道は、エルサレムのキリストの墓へ詣でる道であった。この道を行く者たちは、パルミストと呼ばれ、そのシンボルはやしの枝だった。

キリストがエルサレムに入城した時に、やしの小枝によって迎えられたからである。

そして、
第三の道が、使徒の一人であるサンチャゴ・・・
英語ではジェームズ、フランス語ではジャック、イタリア語ではジャコモ、ラテン語ではヤコブと呼ばれている・・・の遺骸に詣でる道であった。

サンチャゴは、ある夜、羊飼いの少年が野原で大空に輝く星を見たというイベリア半島のとある場所に、葬られたという。

伝説によれば、サンチャゴのみならず、聖母マリアも、キリストの死後、間もなくそこへ行き、福音を伝え、人々をキリスト教に改宗させたという。

その場所はコンポステーラ(星の野原)として知られるようになり、キリスト教世界の隅々から人々を引き寄せる町へと発展したのだった。

こうした旅人はピルグリムと呼ばれ、ほたての貝殻がそのシンボルとなったのだ。

・・・今日でさえも、神秘家、帰依者、研究者などの多くの人々が、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーとスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの大聖堂をへだてている七百キロの道のりを歩いている。





・・・私はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーをしばらく前に出発して、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの道を半分、歩いてきた。

歩行速度、1日二十キロ。

私にはすべてが非現実的に見える。

私はここで何をしているのだろうか?
この疑問はすでに何週間も過ぎたというのに、まだ私を追い回している。

私は剣を探している。私はカソリックに属する小さな教団、RAMで使われている儀式を行っている。

世界の象徴的な言葉を理解すること以外、この教団には他に一切、秘密も秘法もない。

私は自分が騙されていた、霊的探求はまったく意味がなく馬鹿げている、ブラジルで自分がずっとやってきたことをしている方がずっとよいのにと、感じている。

私はこの探求で自分自身の誠実さを疑っている。
なぜならば、姿を決して現さない神を求めて、決まった時間に祈り、奇妙な道を歩き、規律正しい生活をし、見るからに奇妙な教団に従うのは、大変な仕事だからだ。

そうなのだ、私は自分の誠実さを疑っているのだ。私の案内役であるペトラスは、この道はすべての人に、普通の人に開かれていると主張する。

その言葉に私はとてもがっかりしてしまった。

チベットの秘密賢人会議や、愛のないところに愛をもたらすことができる魔法の薬や、突然天国の門が開く儀式などに関するすべての物語が全部真実であると、自分はついに発見するだろうと思っていたからだ。

しかし、ペトラスが私に話すことは、まったく正反対だった。

選ばれた者など誰もいない。もし、自分はここで何をしているのだろうかと疑うかわりに、自分のハートを喜びと情熱で満たしてくれることを行うのだと決心さえすれば、

私たちはみな選ばれるのだ。

その喜びと情熱が聖霊と私たちをつなげるのであって、何百何千という古典を読むことではない。

それは、人生は奇跡であり、それが次々に奇跡を生むということを信じる思いであって、いわゆる「秘密の儀式」や「秘義教団」ではないのだ。つまり、本当に彼を男にするのは、自分の運命を達成しようとする彼の決意なのであって、存在の秘密に関してあれこれ理屈をこねることではないのだ。


・・・私は変わりたいのだろうか?

そうは思わない。にもかかわらず、この道は私を変えつつある。

私は秘密を知りたいのだろうか?

そうだと思う。しかし、この道は秘密などないと、私に教えつつある。

エスが言ったように、明らかにされたことがないことなど、何一つないのだ。

他の言葉で言えば、すべては私が期待していたのとはまったく反対の方法で起こっているのだ。


・・・・私たちはその日の午後ずっと、黙って歩き続ける。強制的に道連れになった私たちは、お互いに疎外し合っている。

サンチャゴ・デ・コンポステーラはまだ先にある。そして私はまだ、この道が私をサンチャゴだけでなく、世界中の他の都市にも導くことになるとは、知ることができない。・・・


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



星の巡礼❇とは

パウロ・コエーリョさんの
人生を一変させた体験をもとに描いた
自伝的デビュー作ということですね。


パウロ・コエーリョさんの旅した道は
もしかすると、
私であり、あなたも
同じように自分自身を知ることができる
旅なのかも・・・笑(*´ω`*)

サンチャゴ・デ・コンポステーラへと続く・・・

あぁ~~今、思い出しました🎵笑(*´ω`*)

覚えていますか?

このblogでも紹介しました。

四国の八十八ヶ所を旅していた・・・

イタリア人のステファノさんとミルコさん🎵

ジェスチャーとなんとなくの地名で教えてくれたんですが・・・

まさに

この道を旅してきたと言っていました。

その時・・・凄く良いなぁと思ったのを

思い出しました🎵笑(*´ω`*)

いつか・・・みんなで行ってみたい。

羊飼いの少年が大空に輝く星を見た・・・

その場所に❇



星の巡礼とは・・・パウロ・コエーリョさんの物語ではあるけれど


もしかしたら・・・今、ここがすでに

そうなのかも❔笑(*´ω`*)


生から死へと続く道・・・

私のあなたの・・・❇巡礼❇

なのかも❔笑(*´ω`*)


今回、最後の方のページでとても感動したメッセージがありました。

何ヵ所かあったのでそこも少しのせておきます。


・・・終わり頃、カナダ人の女性が私のところにやってきた。

「私は聖人のお墓や聖なる川や奇跡が起こった場所や幽霊を探し求めるタイプの人間ではありません。

私にとって、巡礼するのはお祝いです。私の父も母も若くして亡くなりました。二人とも心臓麻痺でした。

そして、私も同じ弱点を持っているかもしれません。

だから、この人生を早くに去るかもしれないので、私はできる限り世界を知り、できる限り幸せを楽しむ必要があるのです。

母がなくなったとき、私は自分に約束しました。

太陽が毎回、毎朝再生する度に幸せを感じること、

そして、未来を楽しみにすること、

しかし
そのために現在を犠牲には絶対にしないこと、

愛が私の道を横切るときは、
必ず愛を受け入れること、

毎分真剣に生き、決して自分を幸せにできることを先延ばしはしないことです。」




・・・・カナダ人女性は自分にも同じことが起こったと言って、いつも持ち歩いている本を私に手渡してくれた。

アメリカの大統領だったセオドア・ルーズベルトが、パリのソルボンヌで1910年4月23日に行ったスピーチの一部です」

私はそれを読んだ。

「大切なのは批評家でもなく、力のある人がどのようにつまずくか、もっとうまくできたはずなのに、と指摘する人たちでもない。

功績は、実際に闘技場にいる者、顔はほこりと汗と血にまみれる者、勇敢に戦う者、過ちを犯す者、何度も何度も失敗する者のものである。

なぜならば、間違いや欠点のない努力などないからだ。

しかし、実際によい行いをするために努力する者、情熱と素晴らしい献身を知るもの、意味のある目的に自分自身をささげる者、最もよい場合には最後に素晴らしい勝利の結果を知る者、そして、最もひどい場合、失敗したとしても、少なくとも大いなる努力のあとで失敗する者、

こうした人々が、勝利も敗北も知らない冷たく臆病な人々と同じ場所にいることは絶対にないだろう」




・・・・そしてファティマでは、まるで何かの印のように、私はサイン会に来た人々の一人から贈り物を受け取った。

それは、
ティク・ナット・ハンという仏教僧が書いた
「喜びへの長い道」
というタイトルの本だった。

その瞬間から、世界一周の九十日間旅行を続ける前に、私は毎朝、
ティク・ナット・ハンの智恵の言葉を読んでいる。
次はその要約だ。


1、あなたはすでに到着している。一歩ごとに喜びを感じ、あなたがまだ直面しなければならないことについて心配するのをやめなさい。
私たちは自分の前に何も持っていない。
ただ一瞬一瞬に喜びを持って旅をする一本の道があるのみだ。
巡礼の瞑想を行うとき、私たちはつねに到着しつつある。私たちの故郷は今この瞬間であり、それ以上のものはないのだ。


2、そのために、歩くときはつねに笑顔でいなさい。たとえ無理して笑顔を作らなければならず、変に感じてもだ。
笑顔に慣れなさい、そうすればあなたは幸せになるだろう。
あなたの満足を見せるのを恐れてはならない。


3、もし、平和と喜びはつねにどこか先にあると思っているならば、あなたは決してそれに到達することはできない。
平和も喜びも、なたの旅の同伴者であることを理解しなさい。


4、歩くとき、あなたは地球をマッサージし、ほめたたえている。
同じように、地球はあなたが心身と心のバランスを取るのを助けようとしている。
この関係を理解し、それを尊重しなさい。
あなたの歩みがライオンの強固な安定感と、虎の優雅さと、皇帝の威厳を持ちますように。


5、あなたのまわりで起こることに注意を払いなさい。そしてあなたの呼吸に集中しなさい。
これはあなたの旅について行こうとする問題や心配を取り去るのに役立つだろう。


6、歩くとき、動いているのはあなただけではない。過去と未来のあらゆる世代が動いているのだ。
いわゆる「現実の世界」では、時間は計ることができるが、真実の世界では今こな瞬間を越えて存在するものはない。
これまでに起こったすべてのこと、これから起こるすべてのことはあなたの一歩一歩の中にあるということに、完全に気づきなさい。


7、あなた自身を楽しみなさい。巡礼の瞑想をあなた自身とつねに出会う場にしなさい。
報酬を求める苦行の場としてはいけない。
あなたの足がふれる場所に、つねに花や果実を育てるのだ。


私はこの本が好きだ🎵笑(*´ω`*)

もしかしたら・・・私の見えないガイドさんが

私に届けてくれたギフトなのかも❔笑(*´ω`*)



道に迷いまくりの❔笑(*´ω`*)・・・私に🎵

結構・・・今って感じだけど(T_T)



それでも・・・まだ生きてます🎵

生かされているのかな❔笑(*´ω`*)

どこまでも愛なんだと・・・気づくために❔笑(*´ω`*)