❤無条件の愛❤ ポール・フェリーニ 著

皆さん🎵

今年も一年間

🎵ありがとうございます🎵

 

あっという間の一年間でした🎵笑(*´ω`*)

 

今思うこと・・・・

今できること・・・・

 

それは

 

❤感謝です❤

 

出逢えた人たち・・・

 

出逢えた出来事・・・

 

出逢えた存在・・・

 

そんなあらゆるすべてに・・・

 

そして、

 

❤あ❤な❤た❤に

心から

 

❤ありがとう❤

 

と。笑(*´ω`*)

 

 

今になってようやく

 

ひもとかれていこうとしている・・・

 

❤わ❤た❤し❤

 

         と

 

❤あ❤な❤た❤

 

あたしはあなたであり

 

あなたはわたし・・・・

 

 

なぞなぞでもなんでもないけれど、

 

 

私が

 

始めたことを

 

終わらせる・・・・

 

 

始まりもなければ

 

終わりもない・・・・

 

ただ

 

今ここに

 

ただ

 

在るだけ・・・・

 

 

あなたが

 

始めたことを

 

終わらせる・・・・

 

始まりもなければ

 

終わりもない・・・・

 

ただ

 

今ここに

 

ただ

 

在るだけ・・・

 

 

私は今

 

大好きなピンクの薔薇柄のカップ

 

大好きなコーヒーを

 

飲んでいます。

 

そして、先日届けられた・・・

 

私の大好きな

 

ハワイの

 

ホノルルクッキー🎵

 

を食べています。

 

単純です。笑(*´ω`*)

 

今とっても

 

しあわせです。

 

なにもない年末に・・・

 

私の心は

 

いつになく

 

穏やかです。笑(*´ω`*)

 

そんな一年の締めに・・・

 

今まで読んだ本のなかでも・・・

 

今一番🎵

 

わたしにピッタリで、

 

皆さん🎵にもピッタリかもしれない

 

私のお気に入りの本を

 

紹介しますね❤笑(*´ω`*)

 

この本も最近出逢いました❤

 

 

 

❤無条件の愛❤

~~キリスト意識を鏡として~~

 

ポール・フェリーニ

 

本文より・・・・

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

讃歌

 

在るのは神のひとり子

そしてあなたと彼のみ

 

彼からあなたは受けとり

彼にあなたは与える

 

自分自身を見るときは

思いだすがよい

 

兄弟を見るときは

思いだすがよい

 

恐れて顔をそむけるとき

次のことだけを思い出すがよい

 

主体と客体

愛するものと愛されるもの

 

それらはふたつではなく

おなじひとつのもの

 

あなたの与えるもの

そしてあなたの受けとるもの

 

それはおたがいの

鏡の反映にすぎないのだ

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

ゆるしの道

 

わたしがゆるしの道を選んだのは、それだけが傷口の上にがっちりとかけられた、時間という錠を開くことができるからです。

時間が、なくなれば、傷もなくなります。

 

過去を手放せば、悲しみの種もなくなります。かんたんな話ではありませんか?

 

時間は傷をリアルなものに見せます。しかしひとつとしてリアルな傷などはありません。

 

あなたが一瞬でも時間を消すことができたらーーーできることは保証しますがーーー救いということが理解できます。

 

その無時間の瞬間には、過去にあなたが言ったりしたことは、何ひとつ意味をもちません。その瞬間には何ひとつ、所有しているものはありません。過去もなければ未来もなく、アイデンティティもありません。

それは純粋な存在の瞬間、非-分離、非-判断の瞬間です。

 

それはあなたみずからは知らずして、あらゆる時間のなかに住む瞬間です。

想像してごらんなさい。あなたはすでに天国にいるのに、そのことに気づかないのです。

 

あなたは天国にいますが、その天国はあにたには受け入れがたいものです。

 

天国はあなたのエゴも、計画も、夢も、支援しません。天国はあなたの苦闘も、学びも、そしてゆるしのプロセスも支援しません。

 

天国では、ゆるしの必要がないのです。なぜでしょう。それは天国では誰にも罪がないからです。現在の瞬間住んでいるものは、罪を犯すこともなく、誤った考えを抱くこともありません。

 

天国はあなたの「罪と罰」のソープオペラを支援しません。

「罪と救い」のソープオペラもです。

天国では何ひとつ正すべきことは存在しないのです。

 

この瞬間にもまた、正すべきものは何もありません。忘れないでください。そうすれば、あなたは王国にいられます。

 

あなたは「善人になる」ことで天国に行けると思っています。しかし、「善人」がどういうものかについては、だれひとり意見が一致しないでしょう。

天国へのロードマップがぐしゃぐしゃの迷路になっているのは、ふしぎでもなんでもありません。

 

なかにはいくらか悟った人もいます。そういう人は、過ちをおかしてもだいじょうぶだが、罪からは救われねばならないと信じています。また、自分のいままでの生き方を否定して、わたしがあなたがたの罪のために死んだということを理解しなければならないと言います。友よ、これはまったくのたわごとです。

 

なぜわたしが、あなたの罪のために死ぬのですか。わたしの罪でもないのに。きっとあなたがたはわたしのことを、よほど度量の広い人間だと考えているのでしょう。

わたしがたいへんな「善人」なので、あなたがたの罪をぜんぶひっかぶっても影響されず、平気なのだと思っているのでしょうね。

 

わたしのおかげであなたがたは万事オーケーだ、というわけでしょうか。

 

はたして、そうなのでしょうか。あなたがたは、自分の救いはわたしにかかっていると信じているのですか。もしわたしが、それを裏切ったら?

またわたしを十字架につけるのでしょうか。

それとも自殺してしまいますか。万事オーケーにいたりつくためのあなたがたのやりかたは、そんなふうなのです。

 

わたしが言っているのは、少々ちがうことです。そう、万事はオーケーですが、それははるかな未来においてでもなければ、あなたがたの信仰を示す行為によってそうなるのでもありません。

すべてはたったいまオーケーであって、あなたが世界のどこかしらを正す必要もなく、わたしがどこかを正す必要もないのです。

 

これを理解するには、ゆるしのプロセスを実践する必要があります。だれか、または何かが誤っていると思ったら、そういう考えを抱いた自分自身をゆるしてください。自分が誤っていると思ったら、そう思った自分をゆるしてください。

 

自分自身に言うのです。

「これは誤っているように見えるが、わたしにいったい何がわかるだろう。わたしが見たくない、でも見るべきものが、ここにあるのかもしれない。だからこそ誤っていると思ったのだろう。自分が見たくないからだ」

 

非難したいものごとを、進んでよく見てください。それこそ罪悪感を脱ぎ捨てるてっとりばやい道です。

あなたが誤りだと思うものでも人でも、それはあなたが自分自身の誤っていると思っている箇所を見せてくれているだけです。兄弟よ、それはあなたの罪悪感なのです。

もっとよく見てください。でなければ、それはあなたの人生をむしばみつづけます。

 

幻想の思い込みを真実にしないようにしてください。

自分の判断・批判を正当化するのをやめてください。

 

そんなことをすると、自分と他人が切り離されているという確信を強めるだけです。

 

勇気を持ってください。いまこそ果敢であってください。

あなたを悩ましているのは、あなたの罪悪感にすぎないのを見てください。あなたを悩ませるすべてのものごとを見て、それを深刻に受け止めた自分をゆるしてください。やましいところのある人だけが、自分の狂った世界の中のものごとを何でも深刻に受けとめます。

 

あなたの旅の中でゆるされねばならぬ人間はたったひとり、それはあなたです。

あなたが裁判官です。あなたが陪審員です。あなたが容疑者です。不吉な三位一体ですね❗

 

落ち着いてください、友よ。あなたが他人にこれこれをしたと思い込んでいるのは、自己処罰のひとつの形にすぎません。

罪悪感をもって生きねばならないのは、彼らではなく、あなたなのですから、

自分に罪があると思えば思うほど、自分自身を痛めつけます。罪を他人に投影してその人を痛めつけても、あなたの罪悪感を増すだけです。 

 

この恐怖心の迷宮から抜け出す唯一の道は、ゆるしを実践することです。

 

いろいろなものを判断・批判している自分をゆるすことによって、誤っているとみなす、すべてのものをゆるしなさい。

自分自身へのあわれみ、自分が批判した他人に対するあわれみをもって、自分のしたいちいちの判断・批判をながめます。

それらを正当化しないでください。そうすれば、自分の思い込みの幻想をリアルなものにしないですみます。

 

いまこの瞬間に、恐怖心、判断、そして期待はくつがえります。

 

過去と未来が今という現在に持ちこまれます。あるのはこの瞬間のみ、あなたがいま世界をどう見ているかが、あるのみです。

 

世界が恐ろしいものに見えるなら、自分自身の恐怖心に直面してください。

 

世界をあれこれと批判してながめるなら、自分が自分をどう批判しているかに直面してください。

 

自分の恐怖心や批判がましさをゆるすとき、それらは出ていきます。

 

あなたは、もはやくもりガラスを通してものを見ることがなくなります。

 

ものごとをあるがままにして、くつろいでいます。

 

 

ゆるしが鍵になるのは、傷口をつかんでいるときの指を開かせるからです。

時間のないところに、傷はありえません。

 

兄弟よ、あなたにはいかなる罪もありません。なのにあなたはそうでないと信じています。

そう信じるかぎり、あなたにはゆるしが必要です。

 

それが、自分で自分を閉じこめている思い込みの幻想からの唯一の脱出口です。

 

自分が人を傷つけることができる、あるいは人に傷つけられると、あなたは誤って信じこみました。それが、あなたの世界を動かしている思考です。

ですから、あなたはようやくこの段階にきて、自分の思い込みの結果をすべて見てとり、それが真実でないことを悟るでしょう。

 

もしあなたがたの中にたったひとりでも傷つけられるなら、もしあなたの完全性が苦悩や死によって損なわれたりするものなら、あなたの世界は天国から遠いところにあり、あなたがたの殺人的思考永遠に荒れくるいつづけるでしょう。あなたがたの世界は、暗く癒されようのない世界になるでしょう。

 

ときには、まったくそのとおりに見えることもわたしは知っています。しかし今となってはそれは真実ではなく、かつても真実ではなかったのです。どんな暗黒時代にも。

あなたがたの世界、人生、思考が天国の外にあったことは一度もありません。なぜなら、兄弟よ、天国はここにあるからです。そしていま、あるからです。

 

あなたは自分が見ることを選んだものを見ます。あらゆる知覚は選択だからです。

 

あなたが、見えるものに自分流の意味を押しつけなくなったとき、あなたのスピリチュアルな目が開いて、判断や批判から自由になった世界が終わりのない美しさに輝いているのを目にするでしょう。

 

地上のかせは外れ落ちて、あなたは明るいうえにも明るい星々の中の、自分の場所へのぼってゆきます。そこからわたしのように大地を見下ろして、深いあわれみをもって、こう言うことでしょう。

 

「わたしはあそこを歩いていたときには、恐怖心があり、その中を通りぬけることを学んだ。あそこは聖なる場所だ。あらゆる敵が友となり、友が兄弟となり、師匠となるような場所だ。死や分離という夢がついに終わる"聖地"だ。あの旅ができたことはありがたいし、とうとう故郷に帰ってこれて嬉しい」

 

そしてあなたは、なにも救われるためには、わざわざ旅をする必要はなかったことを知るでしょう。あにたは一点の曇りもない無垢な存在として、故郷にとどまったままでいることもできたのです。しかし旅をしなければ、あなた自身の無垢もわからなかったでしょう。あなたが純粋無垢な存在であることを、わたしも、わたしたちの父=母も知っています。

 

恵みから失墜したことのない天使は、神との共同創造者にはなれません。そうでなければ、意識的な創造ができないからです。意識的に創造するためには、自分の創造物を理解せねばなりません。創造物を理解するためには、それらに加わり、その旅の経験をしなければなりません。

 

それをあなたはしてきたのです、友よ。ようこそ、故郷へ。罪と死の中をあなたがたは通り抜けて、いまや、しみも穢れもない輝かしい存在です。

 

ハレルヤ❕❗ルシファーはもとの天使にもどりました。放蕩息子は帰郷しました。天のすべての天子が歓喜にあふれています。そして自分で旅をしたのもまた、随喜の涙にむせぶのです。

 

 

・・・・・・・・

 

いかがでしたか❔

 

これはほんの一部です。

 

ゆっくりと自分自身と向き合うには・・・とても参考になるかもしれません。ね🎵

 

自作自演か・・・・笑(*´ω`*)

 

という事で・・・実はつい先日・・・

 

新年早々に紹介したい本を見つけました❤

 

 

で、今朝読み終えたところです🎵

 

この本がもしかしたら・・・

 

自作自演❤

 

を手伝ってくれるかもですね🎵

 

 

皆さん🎵

 

ありがとうございます❤

 

ありがとうございます❤

 

ありがとうございます❤