ある瞑想家の冒険~悟りに至るまでの半生、そしてその後~ ボブ・フィックス著

おはようございます🎵笑(*´ω`*)

 

私は不思議な深い本が大好きです。

 

以前・・・

 

サムハラ神社と関わりの深い

 

保江邦夫さんの本

 

「ついに、愛の宇宙方程式が解けました🎵」

 

を紹介したんですが、

 

その本だったかはさだかではないけれど・・・

 

本のなかで保江さんが

 

素晴らしい本だと紹介してた

本がありまして、・・・多分❔笑(*´ω`*)

 

 

それが、

「時を越える聖伝説」

ボブ・フィックスさんの本でした。

 

 

この本はめちゃくちゃ深すぎるくらいでしたが、本当に素晴らしい本でした。

 

多分、ブログでは紹介してませんが・・・

 

 

今回この

 

ボブ・フィックスさんの本との出逢いがありました。

 

 

手に取った本が、ボブ・フィックスさんの本だったので・・・・思わず。笑(*´ω`*)

 

 

ほんとに不思議でした。

 

それでは早速。

 

 

✨ある瞑想家の冒険~悟りに至るまでの半生~✨

                              ボブ・フィックス   著

 

 

はじめにより・・・・

 

わたしは誰?   どうやってここに来たのだろう?   ここにいる目的は?   

人生で1日たりとも思わなかったことはない、重要な問いだ。

 

わたしは生まれたときから、人生には、目に見えるよりもっと重要な何かがあると知っていた。真理を知り、まさしく幻想である事物を越えたところに行きたかった。

 

 

この本は、わたしの映画の物語についてであり、その起こりを見つけ出すべくいかに奮闘したかを書いたものだ。

わたしは自分がいるべくしてここにいると知っていたし、人間としての普通の人生を越えて、悟りを得たかった。

悟りとは、真理をついに理解する、人生のあの瞬間のことだ。

そのとき、人生つまり生命現象の全領域をくまなく見ることができる。

 

悟りとは、すべてを理解できる、あの瞬間のことだ。意識が完全にひらき、無限を見ることができるあの瞬間だ。悟りがひらけると、自分がつねに宇宙の愛あふれる手中にいたということに気づく。

人生を通じた旅はつねに、壮大か精緻につくりあげられた神の計画の一部だった、ということに気づくのだ。

 

この本は悟りについての自叙伝だ。無限を見つけるまで知覚の扉をひとつひとつあけていった、わたしの人生という映画を探求するものだ。

 

わたしの旅は、ありふれた日常の扉を通り抜けて、驚くべき世界のなかに続いていった。

そこで、想像を越える叡智の数々が明かされた。

 

誰もが、その旅に出ることができる。

わたしが自分の人生について話すのは、人々が日々の営みを越えたところに目を向け、人間の本当の可能性を見つける力となることを願ってだ。

わたしたちはみな無限だ❕❗

想像しうる以上のことをやってのけられるのだ。

 

 

わたしたちは誰なのか❔

その問いには、人生の出来事に目を向けるだけでは答えられない。自らの内に向き直り、誰が人生という映画をつくっているのかを見なくてはならない。

この映画をつくっている要因は何か❔

何がそれを動かし、存続させているのか❔

いかにそれを変えられるのか❔

 

人生とは映画である。この世はその舞台だ。

意識はそれを写し出すスクリーンだ。

そして、思考は観客であり、身体は役者である。

誰もがこの映画で演じる役をもっている。

わたしたちは自分の役を選び、それを演じようとし、そしてまた、それを演じるよう選ばれてもいる。

 

例にもれず、この映画にも台本があり、監督や原作者がいる。

台本は、わたしたちが役に入るずっと前に書かれ、繰り広げられ始めた。

先祖や生きとし生けるものが、どの出来事を起こすかを選択し決意し、わたしたちはその成り行きを今日の台本に見ている。

 

それをカルマと呼んでもいい。その意味では、カルマとは、現在の瞬間までに積み重なった過去の選択のことである。

カルマは、かならずしもわたしたちだけの選択ではない。わたしたち以前にいた、みなの選択なのだ。

 

監督は、この宇宙やそこで起こるあらゆる出来事を導く、全能の知的存在である。

宇宙は、個々にさざめく数多くの波を湛える海にたとえられよう。ひとつひとつの波が、海の動きに影響を与える。量子物理学では、その海を無限の空間という。物質は、空間を流れるエネルギーの量子波の顕れである。

物質のふるまいは、あらゆる物理的法則によって決まる。各量子波の背後には、この宇宙で起こるすべてを導く全能の知的存在がいる。

わたしたちは単に、神の手中にあるひとつの波にすぎない。

 

空間とは意識である。無限の意識は、無限の空間だ。個々人の意識は、生という無限空間を流れる単なるひとつの波だ。わたしたちの視点からは、ひとりひとりの意識はばらばらで、宇宙から独立しているように見えるかもしれないが、生という無限空間の海を個々に流れる波というだけのことだ。波はつねに海につながり、導かれている。海から切り離すことのできる波など、ひとつとしてない。量子場という海をつかさどる全能の知的存在が、映画のなかで起こるすべての監督である。

 

ひとたび個々の波から抜け出して海と一体になる方法を学べば、海全体の視点から真理を見渡すことができる。

その眺めはもはや、個々の波、すなわち個人的なものではない。普遍的なのだ。

この普遍的知性は、全能で無限で、愛にあふれ、そしてかしこい。この宇宙の普遍的知性を見出すことが、いずれの人生においても直面する試練となる。しかし、それに気づいたとき、自らの悟りの叡智を見つけ出し、至高の人生を実現できるのだ。

 

悟ると、大いなる意識が今生の原作者だということがわかる。身体は映画の役者で、思考の働きによって台本が書き変えられることもだ。

あなたも、わたしの人生の出来事を振り返る旅に一緒に出かけ、思考が無限に広がるような発見をしてみてはどうか。

 

この本でお伝えすることは、すべて実際の出来事にもとづいている。

 

フィクションではないし、作り話もない。

 

これが、わたしの旅だったのだ。

その一歩一歩を支えてくれた素晴らしい師をもてたことに、わたしは深く感謝している。

 

ありがたいことに、進めば進むほどに、夢のように素晴らしい歩みとなっていた。

 

ここにかつて恩師マハリシからもらった言葉をご紹介しよう。

 

「光に向かって足を一歩踏み出すごとに、光は明るさを増す。それは、いつか光のなかに足を踏み入れるということではない。道を進むほど、光がより明るくなっていくということだ。光に向かって歩みなさい。闇が消えるまで進み続けなさい」

 

ここで出てくるマハリシとは

TM瞑想創始者

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーを指す。

 

 

・・・・以上がはじめにの全文でした🎵

 

 

わたしは誰❔

どうやってここに来たのだろう❔

ここにいる目的は何❔

 

皆さんの中にも同じ気持ちの人がいたら・・・・

 

是非この本を手にとって

 

この本の著者

 

ボブ・フィックスさんと共に

 

自らの内に向き直り・・・

 

無限空間の旅をしてみるのもいいのでは

ないでしょうか❔笑(*´ω`*)

 

 

 

私は二度目にこの本をパラパラとめくっていて・・・・ふと気になるところで手を止めていた。

 

 

そこに書かれている内容が・・・物凄く

 

腑に落ちたからだ❕❗

 

その箇所だけ残しておきますね。

 

「毎瞬毎瞬を、心を全開にして雑念なく見ることができれば、どの瞬間も理解し、楽しめるようになる。

ならば訪れた死もそんなふうに見とめ、慌てず怖がらず、次の体験を落ち着いて受け入れることができるのだ❕❗

 

・・・・今ここにただ在ることがどれほど重要かに、初めて気がついた。」

 

 

いつかこの言葉が皆さんにも

 

腑に落ちるときがくるかもしれませんね。

 

 

そうそう。

 

ボブ・フィックスさんの恩師マハリシさんの本が・・・実のところ、この本より一足先に

わたしのところに来ていました。

 

 

その本が

 

超越瞑想

でした。

 

あと、ボブ・フィックスさんと同じように

マハリシさんの元で瞑想していたお友だちが

 

ジョン・グレイさんでした。

 

なんとなく繋がっている宇宙を感じます🎵

 

 

早速、ジョン・グレイさんの本を

 

見つけたよ🎵笑(*´ω`*)

 

 

やっぱりみんな繋がってるね❤

 

 

ありがとうございました。

 

今回はこの辺で🎵笑(*´ω`*)