🎵何でもないものが あらゆるものである トニー・パーソンズ 著🎵

お久しぶりです。

 

今回もかなり深い本です。笑(*´ω`*)

 

今、この時だからこそ

 

おすすめしたい🎵

 

 

それでは早速に🎵笑(*´ω`*)

 

 

何でもないものが    

                      あらゆるものである

 

      ----無、存在、すべて----

 

                                      トニー・パーソンズ  著

 

 

本文より・・・

 

 

存在するすべてはこれ・・・・

 

存在

 

一つが二つとして現れ、

 

何でもないものがあらゆるものとして現れ、

 

絶対が相対として現れ、

 

空虚が充足として現れ、

 

原因のないものが原因のあるものとして現れ、

 

単一性が分離として現れ、

 

主体が対象として現れ、

 

単数が複数として現れ、

 

非個人が個人として現れ、

 

未知が既知として現れている。

 

静寂が音を立て、不動が動きまわり、

 

これらの言葉は言葉なきものへの指標として現れる。

 

それにもかかわらず、何も起こっていない。

 

 

 

 

・・・・

 

あるものすべてはこれです。

そしてこれは存在です。

存在・・・存在が部屋であり、存在が肉体であり、存在が椅子なのです。

あるものすべては存在です。

 

ですから、今夜これから私たちが分かち合うことは、希有で革命的なメッセージです。

 

私たちはみんなで一緒に公然の秘密(オープンシークレット)の本質を眺めることができます。それを探し求める人がいる限り、それは秘密です。それが公然なのは、それがあるものすべてだからです。

 

あるものすべては存在で、存在は何でもないものであると同時にあらゆるものです。

他者はいません。

 

あるものすべての中で、分離という考えがわき起こります。これは存在が分離した実体として現れて、自分を分離した個人であると夢見ているのです。

 

ですから、現れているのは夢見る人で、その夢見る人の機能は個人として分離の中で夢見ることだけです。

 

そしてそのことが起こるとき、不快感や喪失感があります。

 

幼い子供として分離した瞬間から、探求があります。時計は時を刻み始め、探求が起こります。その探求とは、あの喪失感を埋めたいという願望です。

 

 

何かになるすべての教えが、あなたは分離した個人で、あなたには選択があり、どこかへたどり着くために努力しなければならないと教えます。

 

そして、その全信念は夢のパワーと分離を強化しますが、それは夢にすぎません。それは物語です。それは存在が存在を探求する見かけの物語なのです。

 

でも、準備ができたとき、しかし実際は誰の準備ができたわけでもないのですが、何か他のことが聞かれることは可能です・・・・

 

完全に革命的な別の可能性が聞かれるのです。そして聞かれうることは、夢からの目覚めがあるということです。

 

でも夢から目覚めるのは夢見る人ではありません。夢見る人、探求者がもはや突然いなくなりますが、それが目覚めなのです。

 

起こるのは知覚における根本的な転換です。でもそれを起こすことができる人も、その目覚めが起きる人も誰もいないのです。

 

誰もあなたのためにそれができる人はいませんし、あなたもそれをできません。

 

なぜなら探求者であるあなたは、発見や期待するという動きのある物語の中でしか機能しないからです。

 

「次回はそうなるだろう。次の瞑想のあとでそうなるだろう。次のページに書いてあるだろう・・・・答えは次のページにあるかもしれない」。

 

夢見る人は常に期待に生きています。

 

時計は常に時を刻んでいます。

 

解放はそれとともに、どんな時計も、夢見る人も、探求者もグルも、目覚めも解放もないという理解を付随的にもたらします・・・

 

存在するのはただ存在だけです。

 

ですから、たぶん私たちは、質問は起こりうるが、ある意味ではどんな答えもないということを一緒に発見することでしょう。

 

なぜなら、答えは何もないからです。

 

人生への答えは解答が何もないことです。

人生がその答えです。

 

それで、おそらく心(マインド)は戦い、それがおこなったり選択できる何かを発見しうとし続けるでしょう。

 

しかし、ここではそれは可能ではないことが発見されるかもしれません。

 

対話を通じて、質問がそれ自身を再生産し続けるという議論がありますが、ここではそれは起こる必要はないのです。

 

到着すべき場所はどこにもないことを、心はここで発見し、だからそれはあきらめることができるのです。

 

ということで、生、すなわちこれは見かけで起こっています。

 

それは何でもないものの中で起こっています。これはあまりにシンプルなので、完全に心を困惑させる根本的な転換です。

 

それは誰も生きていない生の感覚です。

 

 

・・・・・・・

 

あなたの人生が失われるまでは、あなたは常になぜ・・・と思い続けることでしょう。

 

というのは、求められているものは、決して失われたことがなく、探求者が理解しようとしていることは、決して知られることはありえないからです。

 

ですから、公然の秘密(オープンシークレット)のメッセージには、探求者が掴んで所有権を主張できるものは何もありません・・・

 

至福、静寂、現存のどんな特別な状態も提供されません。

 

熱意、受容が必要だとか、あるいは肉体---精神を浄化することが必要だというのは、誤った考えであることは明らかです。

 

内側に注意を向け、「自分の本質」や、非常に多くを約束してくれながらも素早く来ては去って行く気づきの状態を、発見するようには、招待もされないことでしょう。

 

ここではどんな種類のスピリチュアルなアイスキャンディーも提供されません。

 

探求者が指針やプロセス、あるいは何かになる教えを必要としていることに対しては、何の妥協もありません。

 

ここにはいかなる特別な父親も母親もいなければ、所属すべきスピリチュアルな家族もいません。

 

どんな種類の魔法もカリスマも譲渡もありません・・・・何も売っていません。

 

ただ小さい「自分」というおとぎ話を、終了することができるかもしれないだけです。

 

この明白な無限性の中に一緒にいることの贈り物は、あなたであるものは何の期待も要求もなく、すでに完全なものとして見られているということです。

 

解放された光の中で混乱と抵抗は溶解し、何も残らないことでしょう。

 

その何でもないものから、シンプルな存在の信じがたい充満と不思議が現れるのです。

 

 

・・・・・・・

 

 

いかがでしたか❔

 

 

・・・❔❔❔笑(*´ω`*)

 

 

わけがわからなくなってきましたか❔

 

私もわけがわかりません。笑(*´ω`*)

 

わけがわからないなかにあって

 

わけがわかっているのかもしれませんね🎵

 

 

みんな

 

夢を見ているのかもしれませんね🎵