✨鶴尾神社✨

おはようございます。

今日は今年始めての新月✨ですね。

特別なことはなにもないんですが。

不思議なご縁で・・・


今年初めて参拝させていただいた

神社があるんです。


それが、

鶴尾神社🎵(*^-^*)

何年か前から・・・

気になっていた神社ではあったんですが、

きっと、順番というかタイミングというのが

あるんだと思います🎵(*^-^*)



・・・で、少しさかのぼって、

昨年後半に呼ばれた❔笑(*´ω`*)

神社のお話をさせていただくと・・・


その頃に出逢った方とのご縁で・・・

淡路島へと導かれ・・・たまたま

その方の故郷の神社と同じ名前の神社を。

待ち合わせた・・・コンビニの隣の

看板の地図の中にみつけてしまったんですね。



「おんなじ名前の神社があるんや~~」

「行ってみよ~~」


そういって行ったところが


香椎宮


誰も来ないような・・・

自然の中に溶け込んだような感じの場所。


紀元二千六百年と印された石碑があるくらいやから

きっとこの場所は・・・相当

深い意味のある場所なのかと感じました🎵

一人静かに瞑想とかするのにはとても

心地の良い場所かも知れません・・・


私も実際、懐かしく・・・

あたたかく感じられたし。笑(*´ω`*)


写真もあるんですが

残念なことに・・・

メモリがいっぱいみたいで・・・

このblogにはのせられないみたい。

使い方がいまだに理解できていないので(T_T)

その辺は検索してみてくださいね🎵



その✨香椎宮

お祀りされている神様は

神功皇后さまでした。



初めて耳にする神功皇后さま。


なぜこの神功皇后さまが呼んでくださったのか?

これから始まる私の

新たなストーリーなのか、既に始まっているのか

謎のまんまなんですが。


個人的にどんな人なのか検索してみました🎵

皆さんも検索してみて・・・


で、今回、鶴尾神社❤

なんと、ここも、

神功皇后さまをお祀りしていました。

なので・・・凄く知りたくなり。

神社関係者の方に・・・

「なにか資料ありますか?」

って聞いたら・・・


「もし、良かったら、最近記念誌を

発行したのが残っているので、そちらを

差し上げましょうか?」

と言われたので、喜んで頂きました。


・・・なんだか、この記念誌を読んでと

言われているようで


実はここ、鶴尾神社は

祀られている神様は三方。

神功皇后さま

その息子の☆応神天皇さま

その末子の☆うじのわきいらつこの尊さま


普通なら・・・そうなんや~~くらいで

おしまいなんですけど。


私はその頂いた記念誌を

何気によんでしまったんです。


どんな内容か・・・長くてここに載せるの

大変なのである程度🎵



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


応神天皇さまは深くも考えず、朝鮮の王様に

学者の派遣を頼んだらしい。

その後で阿直岐(あちき)と王仁(わに)という二人の

かなり優秀な学者が日本に送られてきて・・・

喜んだ応神天皇は、その王仁(わに)博士を皇太子の

家庭教師として、帝王学の教育を頼んだ。

その時の皇太子は、古くからの習慣で末子の

☆うじのわきいらつこ☆である。

この☆うじのわきいらつこ☆は非常に秀才だったと

伝わっている。おそらく、日本の文化人の元祖

ともいうべき人であったらしい。


ところが、問題は王仁博士が何を教育したかであ

る。

王仁博士が朝鮮から日本に来るときにもって

きたのは、千字文一巻と論語十巻と伝わっている。

論語はもちろん孔子儒教の中心である。

孔子儒教の中心は

「忠孝仁義礼智信」であり、また

「終身斉家治国平天下」である。

特にこの中で、孔子が重点をおいたのは

「礼」である。

礼とは秩序を正すことである。

君は君であり、臣は臣である。

親は親であり、子は子であり、

兄は兄であり、弟は弟である。

その秩序が乱れなかったら、家も治まり、

国も治まるという理論である。

この秩序を守るということが、

孔子儒教の中心である。

王仁博士は、この論語で皇太子の

☆うじのわきいらつこ☆を教育した。

これによって、モンゴリアン民族の日本人の

「「末子相続の習慣」」

が破られたということになる。


応神天皇が亡くなった時、

☆うじのわきいらつこ☆は

「兄は兄、弟は弟である。長幼の序によって兄が

天皇を継ぐべきである。今までの末子相続の習慣

は間違いだった。この機会に天皇の位は兄が

継ぐべきで、私が継ぐべきではない」

と主張して、天皇の位につかなかった。


しかし兄の仁徳天皇は別に論語の教育を受けた

わけではなかった。

「そんな馬鹿なことがあるか。

日本人は朝鮮人とは違う。昔から代々末っ子が

相続することに決まっている。

父の応神天皇もそうだったではないか。

その父親の応神天皇がお前を皇太子として

指定してあった。それを簡単に変更して、

おれが天皇を継ぐことができるか。

王仁博士がお前に何を教えたか知らないが、

天皇はお前が継ぐべきた。」

と主張して、仁徳天皇もがんとして

天皇の位をつがなかった。


それでとうとう3年間、日本に天皇がなかった。


そこで☆うじのわきいらつこ☆は

「自分が生きている間は兄は頑として

天皇を継がないだろう。といって弟の自分が

天皇をつぐことはどう考えても間違いである。

自分がこの世の中にいなくなれば、

仕方なしに兄は天皇の位を継ぐであろう」

そういってとうとう自殺してしまった。

いわば、

儒教渡来の犠牲になったということである。

宗教とか思想とかいうものは、新しい土地に

伝わると必ず犠牲者が出るものである。

☆うじのわきいらつこ☆もその一人である。

兄の仁徳天皇は驚いたが、仕方なく

自分が天皇の位についた。

この☆うじのわきいらつこ☆という人は、

現在の京都のお茶の産地、宇治の宇治川

西岸に住んでいた。

その住まいの跡に天皇自ら弟を祀ったのが、

現在の宇治神社である。なお、宇治という地名も、

この人の住んだゆかりでできたものである。

この事件によって、以後、日本は天皇家をはじめ、

みな

「「長男相続」」

にかわった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


・・・こんな内容が記念誌にありました。


なんとも切ない・・・

複雑な心境になってしまいました。


この世界は・・・このような出来事が

山のようにあって・・・だんだんと忘れられていく


それが、良いとか悪いとかではなくて・・・

ただ・・・そうやって続いてきている。


もしかしたら当たり前のことなど・・・

何一つないのかもしれない。

今まで・・・普通と思ってきた事や、

当たり前と思ってきたことが・・・

もしかしたら・・・違っていたかも❔❔笑(*´ω`*)

誰が決めたのか❔笑(*´ω`*)


自分の人生も・・・誰かの決めごとや、

習慣になっていることや、当たりまえの事や、

一般常識といわれることの犠牲になっていたかも知

れないと思ったら・・・


今からでも・・・自分で選んで生きていきたいとも

思えました。


知るということは・・・良いことなのか?

謎ですが・・・私は知ることができて良かったと

思える。


実際、末子相続か、長男相続かということの

良し悪しではなく・・・

末子である。

☆うじのわきいらつこ☆という方が

存在していたということを知ることができました。


神功皇后が私を呼んだのは・・・

☆うじのわきいらつこ☆の存在を

伝えるためだったのかと・・・謎なんですが。




もし、心ある方が訪ねて下さるのであれば。


日本には4社

☆うじのわきいらつこ☆を御祭神とする

神社があるそうです。


宇治神社🎵・・・京都府宇治市

野木神社🎵・・・栃木県野木町

前鳥神社(さきとり)🎵・・・神奈川県平塚市

鶴尾神社🎵・・・香川県高松市


行ってみてくださいね🎵



私もこの世をさったら・・・

誰かの心に残るのだろうか❔笑(*´ω`*)



出逢った数の人の心には

残るのかもしれませんね。


末子か長男か・・・

本当のところどっちでもいいのでは❔❔

命からみたら・・・みんなおんなじなのでは


大切にすべきは・・・すべてなのかも。


目の前にあらわれる

ひとつひとつのことなのかも🎵(*^-^*)

小さきものから愛でましょう💕


わたしにいってる🎵笑(*´ω`*)