いつもありがとうございます💕
前回に続いて今回も深い本ですよ(*゚▽゚*)
同じ OSHOさんの本です💕
この本は最近出逢いました(*゚▽゚*)
なんとなく
黄色に惹かれて( ・∇・)🤣
ですが、まさに今❣️
私に今❣️必要な本でした(*゚▽゚*)感謝❗️
タイトルは勇気❣️
でなんとなく馴染みのある感じでしたが、
内容はかなり深めでした😊
それでは早速❣️
表紙裏のメッセージより。
もし、あなたに勇気がなかったら、
あなたは真実を探求できないだろう。
だからまず勇気を持つことだ。
他のすべては
それについつくる。
まえがきより
それを不確実と呼んではならないーー驚異と呼びなさい。
それを不安と呼んではならないーー自由と呼びなさい。
私はあなたに教理を与えるためにここにいるのではないーー教理があれば、人は安心する。
私はあなたに未来に対する約束を与えるためにここにいるのではないーー未来に対する約束があれば、人は安全に感じる。
私がここにいるのはあなたの覚醒を促し、気づきを与えるためだーーつまるところ、人生が本来持つあらゆる不安、あらゆる不確実性、あらゆる危険とともに、今ここにいるようにと教えるためだ。
あなたがここに来たのは、ある種の不確実性と、何らかの信条、主義、どこか帰属する場所、誰か頼る人を求めてのことだと私は知っている。
あなたは恐れからここに来た。
あなたは一種の美しい監獄をさがしているーー
何の気づきもなく生きることができるようになるためだ。
私はあなたをもっと不安定に、もっと不確実にしたいーーなぜならば、それが人生というものであり、それが神というものだからだ。
もっと不安定に、もっと危険になった時に、それに対応する唯一の方法は気づくことなのだ。
二つの可能性がある。一つは、目を閉じて教条的になり、キリスト教徒か、ヒンズー教徒か、イスラム教徒になる・・・そしてダチョウのようになることだ。
それは人生を変えはしない。
ただ目を閉じるだけのことだ。
それはただあなたを愚か者にし、ただあなたを無知にするだけだ。あなたは無知のなかで安全に感じるーー馬鹿者はみんな安心する。
事実、馬鹿者だけが安心している。本当に生きている人はいつも不安でいるものだ。どこに安心があると言うのかね?
人生は機械的なプロセスではない。それは確実ではありえない。それは先を見通せない神秘だ。誰も次の瞬間に何が起こるか知らない。
第7天国のどこかに住んでいるとあなたが思っている神ーーもし、神がそこにいるとしてもーーその神でさえ何が起こるか知らない❗️・・・なぜならば、もし何が起こるかを知っているならば、そのとき、生は単なるいんちきになるだろう。
そのとき、すべては前もって書かれていることになる。そして、すべてが前もって決められていることになる。
もし未来がオープンであるとしたら、次に何が起ころうとしているのか、誰が知ることができようか?
もし神が次に何が起こるかを知っているとしたら、そのとき、生は単なる死んだ機械的なプロセスになる。そのとき、そこに自由はない。そして、自由なくして生はどうして存在できるだろうか?
そのとき、成長するしないの可能性はなくなる。もしすべてが前もって決まっていたら、そのとき、栄光も偉大さもありえない。そのとき、あなたはただのロボットにすぎない。
いや、安全なものは何もない。
それが私のメッセージだ。
何事も安全ではありえない、なぜならば、安全な生は死よりももっと悪いものだからだ。
安全なものは何もない。
生は不確実でいっぱいだ。驚きでいっぱいだーーそれこそが生の美しさなのだ!
あなたが「私はもう確実だ」と言える瞬間にたどり着くことはありえない。あなたが自分は確実だと言ったとき、あなたは自分の死を宣言しているだけだ。あなたは自殺をしたのだ。
・・・自由は恐れを創造する。人々は自由について話す、しかし彼らは恐れている。そして、もし自由を恐れているのであれば、まだ彼は本当の人間ではない。
私はあなたに自由を与えるが、あなたに安全は与えない。私はあなたに理解を与えるが、あなたに知識は与えない。
知識はあなたを確実にするだろう。もし私があなたに次のような一つの公式を与えれば、
つまり、神がいて、聖霊がいて、イエスという唯一の息子がいて、地獄と天国がある。良き行いと悪い行いがあり、罪を犯すとあなたは地獄に行く。
私の言う通りに高潔な行いをすれば、あなたは天国に行く、というワンセットの公式ーーそれだけ❗️ーーを与えれば、そのとき、あなたは確実になる。
それだからそこ、非常に多くの人々がキリスト教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒になる選択をしたのだーー彼らは自由を欲しない、彼らは決められた公式が欲しいのだ。・・・
死があなたのドアをノックするとき、あなたの確実性のすべては単になぞかけか、または馬鹿げたことになるだろう。
確実なものに執着してはならない。生は不確実なものーー生の本質そのものが不確実なのだ。そして知的な人間は常に不確実を生きるものだ。
この不確実にの中に快くとどまることが勇気なのだ。
この不確実の中に快くいるということが信頼だ。
知的な人間とはどのような状況においても覚醒しているーーそして、心全体でその状況に対応する。・・・
それぞれの個性は自由である。未知の自由だ。予想することもできず、期待することもできない。人は気づきと理解をもって生きなければならない。
あなた方は私のところへ知識を求めにやってきた。あなたはしがみつくことのできる決まった公式を欲している。
私はそんなものはあげない。
実際のところ、もしあなたがそれを持っていたとしたら、私はそれらを取り上げよう❗️
時間とともに、私はあなたをどんどん不確かにしてゆく。
それが唯一なされなければならないことだ。
それが唯一、教師がしなければならないこと
だ❗️
あなたを完全に自由にすることだ。
完全な自由の中では、すべての可能性が開かれており、何事も決められていない・・・あなたは気づかなくてはならないだろうーーこれ以上は可能ではないと。
これこそ私が理解と呼んでいるものだ。
もしあなたが不安は生の本質の一部であるーーそして、それでよいのだ、それが生を自由にするのだからと分かれば、それは生を驚きの連続にする。
人はこの先何が起こるのかを決して知りはしない。そのことがあなたをいつも驚きの連続に留めてくれる。
それを不確実と呼んではならないーー驚異と呼びなさい。
それを不安と呼んではならないーー自由と呼びなさい。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは真実ではいられないだろう。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは愛情深くなれないだろう。
もしあなたに勇気がなかったら、あなたは信頼することができないだろう。
もし、あなたに勇気がなかったら、あなたは真実を探求できないだろう。
だからまず勇気を持つことだ。
他のすべてはそれについてくる。
このように
まえがきからはじまります(*゚▽゚*)
今回この本の中で
とても惹かれるところがありました。
色々惹かれるところばかりですが
それでもこの部分を残しておきたいなぁと
思いました。
第一章
勇気とは何か❓
のところの
無知の道の部分です。
真の問題は勇気の問題ではない。
本当の問題は知っていることは死んだものであり、知らないものは生きているということだ。
知っていることにしがみつくのは死体にしがみつくようなものだ。しがみつくのを落とすのに勇気はいらない。
実際、死体にしがみついているには勇気が必要だ。
あなたは見なければいけない・・・あなたにとって馴染みのるもの、あなたが生きてきたものーーそれは何をくれたのだろうか?
あなたはどこに到達したのだろうか?
あなたは今もなお空っぽではないだろうか?
大きな不満はないのか、深い欲求不満、無意味感はないのか?
あなたは何とかうまくやり続け、真実を隠して嘘をつきながら活動し、かかわっている。
これが問題なのだ。
あなたの知っていることはすべて過去であり、それはすでに消え去ったことだと、はっきり見なさい。それは墓場の一部だ。
あなたは墓の中にいたいのか、それともあなたは生きたいのか?そして、これは今日だけの問題ではない。明日も明後日も、同じ問題があるだろう。
それはあなたが死ぬ最後のときまで、同じ問題としてあるだろう。
あなたが何を知っていようと、何を積み上げようとーー情報、知識、経験などーーあなたがそれを探求し終わったとき、それはすでに終わっている。
それらの空っぽの言葉や死んだ荷物は、あなたの生を押しつぶし、あなたの生の重荷になり、あなたが生き生きとした喜びの存在になるのを邪魔するーーそして喜びの存在は常にあなたを待っているのだ。
物のわかった人は瞬間ごとに死に、過去になる。そして、再び生まれ、未来に向かう。彼の現在は常に変容であり、再生、復活だ。
それは全く勇気の問題ではない。そのことをまず理解しなければならない。
それは明快さの問題だ。物事がなんであるか、明快であるかどうかの問題なのだ。
そして、第二に、本当に勇気の問題があるときは、誰も勇気をあなたに与えることはできないということだ。それは贈り物として贈ることのできないものなのだ。それはあなたが生まれながらに持っているものであるのに、あなたはそれが育つのも、それが現れるのも許していなかっただけなのだ。
純真は勇気と明晰さの両方だ。
もしあなたが純真であれば、勇敢である必要はない。また明晰である必要もない。
なぜならば、純真ほど明晰で、水晶のように澄んでいるものはないからだ。だから、すべての問題はいかにして自分の純真さを守るかということだ。
純真は達成すべきものではない。
それは学ぶものでもない。それは絵、音楽、詩、彫刻などの才能のようなものでもない。
そのようなものではなく、それはむしろ呼吸に似ている。
それは生まれ持ったものなのだ。
純真は誰もが持っている自然な資質だ。
純真でなく生まれてくるものはいない。
どうして純真でなく生まれてくることができようか?誕生とはあなたが、タブラサラ(白紙状態)としてこの世界に入ってくるということだ。
あなたには何も書かれていない。
あなたには未来かあるだけで過去はない。
それが純真の意味だ。だから、まず純真の意味を理解するように努力しなさい
第一に、過去はなく、未来だけしかない。
過去は腐敗する。なぜならば、それはあなたに記憶、経験、期待を与えるからだ。
これらは一緒になってあなたを利口にするが、明晰にはしない。
それらはあなたをずるがしこくするが、聡明にはしない。
それらは世間的に成功することを助けるが、あなたのもっとも深いところでは、あなたは失敗するだろう。
すべての世間的な成功は、あなたが最終的に直面しなければならない失敗に比べれば、何ほどのものでもない。なぜならば、究極的にあなたに残るものは、あなたの内的な自分だけだからだ。
すべては失われる。あなたの栄光、あなたの権力、あなたの名前、あなたの名声ーーすべては影のように消え始める。
最後には、あなたが最初に持ってきたものだけが残る。あなたはこの世から、あなたが持ってきたものだけしか、持ち出せないのだ。
いかがでしたか?
知っていることは死んでいる❣️
知っていることはすでに過去❣️
過去は死んでいる❣️
私も結構過去にしがみついて
生きていたところがあって。。。(T ^ T)
私は死んでいたのか🤣🤣🤣
流石に死体に
しがみつきたくないなぁ〜( ・∇・)🤣
とか。
実際この本を最後まで読んでみたら
全く新しい世界が広がることを
感じました(*゚▽゚*)💕
まったく新しい世界を選択することは
本当に勇気のいることだと思います。
けれども
まったく新しい体験が
できるということになりまね💕
やはり
今ここ❣️
この瞬間❣️
すべての次元に開かれた扉を
体験したいと思いました。
生きて体験できるうち
勇気を出して
前進あるのみ(*゚▽゚*)笑💕
ありがとうございます😊
ありがとうございます😊
ありがとうございます😊
今この瞬間に何ができるだろう❓
ふと、そう思った時には
あらゆるものに
感謝をすることにしました。
そのふっと思う瞬間を増やして
たくさん感謝できたら
とても幸せになっています(*゚▽゚*)💕
自己満足なんですが(*゚▽゚*)🤣
実践したらわかるんですが、
なぜかありがとうが帰ってきます💕
だから
お帰り💕って
また、いってらっしゃ〜い💕って
ありがとうっていうんですよ( ・∇・)🤣
永遠に続くのでこの辺で🤣
いつもありがとうございます😊