こんばんは❤笑(*´ω`*)
最近出逢った素敵な方と
不思議な話で再会を果たした
感じなんですが。
その方と・・・
「いろんな出来事とかに、良いとか悪いの判断は要らんのよね~~🎵」
「本当は、良い人とか、悪い人とかおらんのよね~~🎵」
「自分(わたし)がどう観ているか❔❔
どう感じているかだけなんやと思うよ🎵」
「結局のところ、目の前の人や出来事は
自分(わたし)の内側の投影❔❔
まさに鏡なんよね~~🎵」
「どうしたいの自分(わたし)❔❔
どう感じたいの自分(わたし)❔❔
の世界なんかもね~~🎵」
「今、楽しもうね🎵
いろんな出来事❕❗いろんな感情を❕❗
自分(わたし)が思うこと・・・
何でもチャレンジして、嬉しいことも、辛いことも、楽しいことも、悲しいことも・・・
味わい尽くして・・・感じきって
終わらせようね🎵笑(*´ω`*)
でないと、また、きっと同じ感情を味わう事になるしね。
まだ、残ってたよ~~って🎵笑(*´ω`*)」
とまぁ、こんな感じて話ながら・・・
あっという間にすぎちゃったけど。
帰ってからもひとつ、心に残ってたことが
ありました。
その方がうまく表現してたことがありまして・・・
深く(なるほど~~)って思いました🎵
何を思ったか、その後、
部屋の本の片付けをしてて・・・
懐かしの本を広げてチラッとのぞいたその本に☆・・・
当時は気がつかなかった表現にハッと
したんですよ🎵笑(*´ω`*)
それが、今回再び紹介したい本です。
うまく表現してるところが同じで🎵
(内容ではないのですが)
☆わたしが目覚める☆
濱田浩朱 著
前回のブログを、まだご覧でない方は
是非合わせてみてくださいね。
同じタイトルの本のブログです。
今回はP242
投影が消える🎵
というところです。
本文より・・・
誰にも苦手なものがあり、苦手な人がいますよね。わたしにも、そういうものがあります。ところが新しいわたしを生きはじめたある日、こんな驚く変化がはじまりました。
ある日のこと、わたしは街を歩いていました。すると向こうから、わたしの価値観で苦手な人というか、好きでない雰囲気の人が歩いてきました。
するとわたしの中で、こんな思考と感情が湧きあがりはじめます。
「ああ、こういうタイプのヤツってこうこう、こういうヤツで、イヤなヤツなんだよな」
「なぜなら昔似たヤツを知っていて、そいつが凄くイヤなヤツで、イヤな思いをして、だからこいつも嫌い❕❗」
そんな思考が不快感とともに湧きあがりはじめます。そして湧きあがってきた思考の中のドラマに感情を掻き回され、そのドラマとイヤな気分はリピートをはじめます。
こんな体験、きっとあなたにもあることと思います。
ところがその日は、いつもと違ったのです。
わたしはこの日、身体に起こる「感覚」に気づいていました。
わたしたちは普段ほとんど気づくことがありませんが、なにかを「目にしたり」、なにか
「出来事に出逢ったとき」、必ず身体になんらかの感覚が起こっています。
そう、座禅や瞑想の中で気づくようになった
「感覚」です。
また出来事だけでなく、なにか思い出したときも、つまり「考え」が浮かぶときも、必ず身体に「感覚」が発生します。
たとえば苦手な人を見かけたりしたら、胸の辺りがざわざわしたり、胃の辺りが重い感じがしたり、足がこわばったりなどの「感覚」が身体に起こってきますよね。
また不安や心配の思いや感情が湧いてくるとき、きゅう~~っと胸の辺りが締め付けられるような感覚がおこってきます。
あなたも「確かに」って思われることと思います。
嬉しいときは嬉しいときの感覚、
辛いときは辛いときの感覚が身体に発生します。
そしてわたしたちはこの感覚を、
「快」とか「不快」と呼んでいます。が、
この感覚「快」とか「不快」と名づけて呼んでいるけれど、名前をつけなければ、ただ、ざわざわっとする感覚や、重い鉛の玉があるような感覚、キューっと締め付けるような感覚が、あるに過ぎない。
本来、感覚それ自体には、名前も意味もないんですよね。
さて、この日わたしが歩いていると、向こうからわたしの(それまでの)価値観で苦手なタイプの人が歩いてきました。が、わたしはこの時、ただ感覚に気づいていました。
名前をつけることもなく、意味をつけることもなく、ただ感覚に気づいていました。
するとひじょうに面白いことが起こったのです。
向こうからわたしの苦手なタイプの人が歩いてくるのを観た瞬間、胸の辺りに重い鉛でもあるかのような感覚が起こってきました。
いつもはこの感覚が湧いてきたとき、わたしはこの感覚を感じないように、押さえつけようとしてきました。
ですがこの日は、押さえつけることなく、抵抗することもなく、ただ感覚が湧いてきたことに気づき、なにも手を加えることなく観て(気づいて)いました。するとどうでしょう。
湧いてきた感覚は、まるで泡がボコンと水の中で発生し、水面に出てきた瞬間にはじけてなくなるみたいに通り過ぎ、すうっと消えてしまったのです。
その瞬間でした。なんと歩いてくるその人が嫌いでも好きでもない、ただの通行人になったのです。ただの風景になったのです。
そしてただ、わたしの横を通り過ぎて行きました。
苦手だったものが、なんでもなくなったのです。感覚にただ気づいて、そして現れるまま、通り過ぎるままに観ていたら、苦手なものが、好きでも嫌いでもない、
「ただのそれ」になってしまったのです。
わたしはこのことを体験したとき、「あ!」とあることに気づきました。
わたしは、苦手な人や嫌いな人がいたら、その人のことを
「許せるようにならなければならない」
「許して愛せるようにならなければ、本当には変わったとはいえない」
そう思い込んでいたことに気づいたのです。
ですが「ハッ」と気づいてみたらそれは
「嫌」という方角に振れた振り子が反対に振れるということだと気づかされました。
本当に不快感などの苦しみから自由になったとき、
それはマインドが勝手に思い込んでいた思い込みだったことに気づきました。
実際に自由になったとき起こったのは、
苦手や嫌いだったものが消え去り、リセットされ、わたしの思い込みが投影されなくなったのです。
そしてあるものが、あるままに観えるようになっていたのです。
この経験が起こったときから、苦手なもの、嫌いなものがどんどんリセットされるようになりました。
毎瞬毎瞬リセットされ、好きでも嫌いでもない、
「ただのそれ」になっていくのです。
なんとシンプルなのでしょう❕❗
そしてなんて自由なのでしょう❕❗
・・・・もう以前のように、楽しくなくて不快さを感じながら、それを押さえつけて無理やり頑張る必要がなくなったのです。
押さえつけて、無理やりがんばってストレスをため続けて、どこかで爆発する。
そのようなことをする必要がなくなったのです。
あなたは今、身体に、胸の辺りにどんな感覚を感じているでしょうか?
そしてその感覚は今、本来名前も意味もにい、ただそれであることに気づいてみてください。
それは、今までどんなにがんばっても変えることはできないと諦めていた、嫌なものが嫌でなくなったり不可能だったことが可能になる、扉になることでしょう。
よかったらぜひ、気づいてみてください。
いかがでしたか❔❔
目の前の人や出来事は
わたしの内側の投影🎵笑(*´ω`*)